う生活も気分も行き詰つてゐては何うすることも出来ない、何かを沁々と習ひたいものだ。」などゝ上ツ調子に喋舌つた。「君は、さつき何とか君の愛誦する詩を朗吟したな、何だつたかね、もう一辺やつて見て呉れ。」
「ヴヱルレーヌの秋の唄だよ。」
「あゝ、さうさう、すゝりなくヴァイオリンの音とか云つたね。」
「ヴ※[#小書き片仮名ヰ、132−11]オロンだよ。――君、西洋音楽でも習つたらどうだ。」
「好ささうだな。」
「それが好い/\、あたしも一緒に習つてもいゝ。」と周子が云つた。
 詩人が帰つてしまふと、滝野は何となく不機嫌だつた。そして、更に独りで酒を飲み続けた。
「ほんとうにあなた、西洋音楽でもお習ひなさいよ、此処を引ツ越したら。」
「まア考えて置かうよ。――さて、ひとつ歌でもうたはうかな。」
「遅いんですよ/\、それに昼間の約束を忘れやしないでせうね。」
「あの歌でさへなければ、好いだらう。」
 夫がさう、きつぱりと云ふと周子は一寸好奇心を動かせた。(あの他にどんなことを知つてゐるだらうかな?)
「家の中でゞも自由が許されないといふのか。昼間も家《うち》でのう/\[#「のう/\」に傍点]とするわけには行かないのか、運動の為に逆立ちをするのが何が悪い。」
「みつともないですよ、運動なら運動らしいこと、歌なら歌らしいこと……」
「くどいぞ! ……あゝ、酔つた/\。」
 わけもなく滝野は、そんなことを云つた。「馬鹿にするない。」
「あゝいふ風に心が曲つてゐる!」
「何だつて出来るぞ。」
「ぢややつて御覧なさい、勝手におやりなさい――だ。」
 滝野は、ふら/\と立ちあがつた。「よしツやつて見よう。踊りでも踊つて見ようか。」
「トンボ踊りは御免ですよ。」
 二人とも喧嘩口調で、そんな馬鹿/\しい会話を取り交した。トンボ踊りといふのは、滝野が酔つた時自分で出たらめに名付けた出たら目の踊りで、口笛を吹いて、両腕を延して、爪先で立ちあがり、漫然と部屋のなかを彼方此方に浮遊する割合に静かな遊戯だつた。遊戯中に、首全体を蜻蛉の眼玉になぞらへてクリクリと回転させたり、軽く尻もちをついて、蜻蛉が水の上に産卵する光景を髣髴させたり、高く舞ひ、翻つて低く飛び、鳶の如く悠々と翼を延し、黙々として青空の下を遊泳する趣きを、見る者に感ぜしめるのだつた。
 立ちあがつた彼は、その得意の舞を演ずるつもりだつたが
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