うか。」
「そして、歌でもうたはうか。」
「歌は御免だ。」
(あたしばかりぢやない、誰だつて参つてゐるんだ。)周子はさう思ふと、ちよつとその[#「その」に傍点]人も入つて来れば好いがなと、思つた。
「さア行かう/\、担いでツてやらうか。」
「担げるものか。」
「担げるとも。」
「ぢや担いで見ろ。」
「よし来た。――何でエこんなもの、……よウいこら! よんやこら。」
ガタ/\と具合の悪い戸を開けたり、桓根に突き当ツたりしながら、滝野は周子の見知らない客を伴れて入つて来た。滝野の胸は、裸体に近い程はだけてゐた。
周子は、丁寧に客に挨拶して、迷惑を詫びた。いつも行き来してゐる酒飲みの友達ならさうもしなかつたが、その日の客は余り酒にも酔つてゐないらしく、身だしなみの好い洋服を着て、胸にはボヘミアンネクタイを房々と結んでゐた。話の様子で察すると、滝野の学生時分の知人らしく、そして有名な詩人であるらしかつた。
「あゝ、夜は更けた、もう間もなく秋だ。」
食卓の前に坐ると詩人は、溜息のやうな嘆息を洩して、長い髪の毛を掻きあげた。周子は沁々と詩人の様子を打ち眺めて、いゝな[#「いゝな」に傍点]! と思つた。
「久し振りに会つた滝野に、今日は酷い目にあはされました。」
「あなたは、そんなにお酒なんてめしあがれないんでせう。」
「えゝ、甘い西洋酒位いのものです、夜仕事をする時には、上等のウヰスキイを少量、二三滴紅茶に滴します、さうすると繊細な神経が青白く輝きます。」
「まア、好いですわね。」
「僕は、夜といふものに対して不思議な感覚をもつてゐます。」
「――」周子は、解るといふ風に点頭いた。解らないのだが、さうしないと軽蔑されるやうな惧れを感じたから。
「滝野、君も古くから昼と夜とを転換してゐる生活を持つてゐるらしいが、君はどうだ、君は、昼と夜と、どつちの世界にほんとうの自分自身の姿を発見する?」
「僕は――」滝野は突拍子もない声を挙げたが、そのまゝグッグッと喉を鳴して口ごもつた。
(態ア見やがれ)周子はそんな気がした。そして滝野は、ごまかしでもするやうに盃の手を早めながら、周子を顧みて、
「おい、酒を早く、酒を早く――。何だ斯んな処へ出しやばつて――」と叱つた。
「芸術の話をしようといふから、寄つたんだよ。」
「僕に出来ることは何だらう。」滝野はまたもごまかすやうに話を避けて「斯
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