と口のうちで呟いた。「だが困つたことには、あのラツパでは音の調程が出来ないことだ、思ひツきり強く吹かなければ鳴らないんだからなア、練習であらうと正式であらうと、ソツ[#「ソツ」に傍点]と吹くといふ芸当が出来ないんでね。」
「何云つてんのよ、馬鹿ね。それより早く郊外に越しませうよ。花なんて作るのも好いぢやないの。」
「郊外もへつたくれもあるものか、ラツパを吹いて悪ければ田舎へ帰らう。」
「チエツ! 田舎だつて……」
「小田原以上の田舎へ引ツ込まう、何をしたつて文句の出ない処へ行きたい、そして……」
「また始まつた、ふざけるのも好い加減にして下さいよ、ホツホツホ。」
 周子は、笑ひ棄てゝ夕食の支度の為に立ち上つた。滝野は、晴れた静かな田舎の風景を想ひ、沁々と力を込めて、専念にあの[#「あの」に傍点]ラツパを吹くことを夢見て、近頃いつにも覚えのない爽々しい恍惚に浸つた。
「お酒はどうするの?」
「勿論だよ。煩いなツ。」彼は迷惑さうに顔を顰めて呟くと、再び凝つと六ヶ敷気に天井を視詰めて動かなかつた。
 翌朝から、周子は毎朝三歳の子供の手を引いて、郊外へ家探しに出かけることを日課とし始めた。
[#地から1字上げ](十三年九月)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第四十一巻第五号」新潮社
   1924(大正13)年11月1日発行
初出:「新潮 第四十一巻第五号」新潮社
   1924(大正13)年11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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