。」
「あなたは中学の時分ラツパ卒だつたのね、ラツパを持つて写した写真がありましたね。だけどまさかあの[#「あの」に傍点]ラツパぢやないんでせうね。ホツホツホ……」
「うむ。――コルネツトとかホーンとか云ふ楽隊用の奴さ。あれだつて唱歌ならすぐにでも出来るんだ。」
「そんなら好いでせうが、私はまた兵隊のラツパかと思つて驚いたわ、いくら郊外だつてあれ[#「あれ」に傍点]を吹かれちやア!」
「僕は寧ろあれ[#「あれ」に傍点]を吹いて見たいんだ、あれならほんとに得意なんだ。」さう云つて滝野は一寸無気になつて思はず胸を拡げた。「お前にも一辺俺の得意の業を見せてやり度い。」
「お止めなさいよ、馬鹿/\しい。」
「皇族のお出でになる時、君が代を吹奏するのは俺一人だつた。校長が俺に雑記帳の褒美を呉れた。他人《ひと》から賞められた上賞品を貰つたといふ事は、あれ以外には無いことだ。――俺は体操の教師とは最も仲が悪かつた、普段体操の場合|丈《セイ》の順は一番のビリだつた、処が晴れの日には俺は先頭に立つて威風堂々とラツパを吹いた、ラツパ卒は皆な大きな奴ばかしで俺が入ると具合が悪かつたが、ラツパの音は俺のが一番素晴しかつた、何とかして俺を除外したがつてゐた体操教師も、あれには敵はなかつた、運動会の分列式の時には校旗と並んで俺一人がラツパを吹いた、見物の女学生などは感嘆の声を挙げた。」滝野は変に調子づいてペラペラと喋舌つた。(発火演習の帰り路などには、軍隊はへと/\に疲れて軍歌を歌ふ気力もなかつた。村の家々の窓からは灯火が洩れてゐた。「滝野ひとつ頼むよ」と誰かが云ふと「よしツ。」と自分は先頭に進み出た。そして小脇のラツパを取り上げるや余韻条々たる進軍曲を吹奏した。全軍の歩調は忽ち愉快に整つて、勇しい靴の音が夕暮の森に響き渡つた。駈歩になつても、俺は調子違へずに吹けたものだ。)
 十二三年も前のことだ。(五年生の時そんなものを軽蔑して、棄てゝ以来随分永い月日が経つが、今でも出来るかしら?)彼は、そんな思ひに耽つてゐた。
「たしか田舎の家に、つい此間まであつた筈だが……焼けてしまつたかしら?」
「ホーンといふのは何んな形なの?」
「煩いよ――。俺は今そんなものゝことを考へてゐるんぢやない。」
「兵隊のラツパなんてどうでも好いわよ。――しつかりしなさいよツ――」
 滝野は、周子の声など聞えぬ風でそつ
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