出発
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)滾《こぼ》れ落ち

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)おい/\、ちよつと
−−

     (A)

「風よ風よ、吾を汝が立琴となせ、彼の森の如く――か、ハツハツハ……琴にならぬうちに、おさらばだよ、森よ森よ、さよなら――と!」
「真面目かと思へば冗談で、冗談かと思へば生真面目で、転がせ/\、この樽を――だ、ハツハツハツ……」
「泣いて呉れるなヨ、出船の邪魔だヨ……」
「今日は黒パン、明日は白パン、兵士の歌だよ、白い娘と黒いパン、黒い娘と白いパン、どんどん行け行け鉄砲かついで――」
 私はテントの袋を肩につけて、何かしら不安な思ひにでも打たれてゐるかのやうに黙つてゐたが、皆なは勝手な歌をうたひ、口笛を吹き、手風琴を鳴しながら、ガヤガヤと馬をつらねて山径を降つてゐた。皆なが、山彦を面白がつて、殊更に声を張り挙げ、殊更な笑ひ声を挙げると、それが森の梢に陰々と反響した。崖の間からハラハラと水が滾《こぼ》れ落ち、万年草や孔雀歯朶が一杯にはびこつてゐる森の中だつた。
「おい/\、
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