を云つてるわ。浅いところがあるんで、恰度好いんぢやないの、あなたはよ。……ヲダハラの海なんかでは、何ンにも泳げないのよ、そこで育つたくせにして。」
 何時《いつ》か、そこの海辺で彼が海水浴をしてゐるところを見たんだが、普段達人のやうなことばかり吹聴してゐるので、どんなに巧いのかと思つてゐたところが、その彼の臆病な格好と云つたらなかつた、少しも波の向ふには泳ぎ出ることは出来ないで、波元のところでちよこ/\と行つたり来たりしてゐたところは、恰で波と鬼ごつこをしてゐるやうだつた、あれぢや、泳ぎに誘はれても一処に行くのは厭がるのも無理はあるまい――。
 彼女は、そんなやうなことを云ひ続けようとしたが、いつかもほんの冗談のつもりでそんなことを云つたら、そのために何も彼を軽蔑する程の気なんてある筈もなかつたのに、如何いふわけか彼は、まるで全人格を軽蔑されでもしたかのやうにムツとした表情をするので、今も一寸その気はひを感じたので危ふく彼女は、云はうとした言葉を呑み込んでしまつた。それに彼は、彼女の口から、悪意、好意の別なく、どんな種類のことであらうとも他の人に向つて彼女が、彼の性質や生活に関する片鱗
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