さうになると、故意に喉を鳴らして技巧的に吐き出すこともあつた。
 左様《さう》して彼は、毎朝日課のやうに、何となく洞ろな感じに苦しい、酷く騒々しい手水を使ふやうになつてゐた。
 彼の四歳になる長男は、毎朝その傍で父の異様な苦悶を見物した。そして、稍ともすればゲーゲーと喉を鳴して、その時彼がするやうに両手を糸に吊された亀の子のやうにひらひらさせて、その彼の苦悶の真似をした。――どんな種類の苦しみに出遇つても、まつたく堪《こら》え性のない彼は、その通りに毎朝、縁側の端の、洗面が終れば直ぐに取り片づけてしまふ流しにのめつて、いつも変りなくそんな格好をするのが習慣の一つになつてゐた。
「そんなに苦しいのなら止せば好いのに、お酒なんて、それほど好きでもなさゝうなのに――」
 時にはそんな風に傍から哀れまれると、何時も彼は、同じ言葉で毒々しく反対するのが常だつたが、この頃では、思はず鹿爪らしい顔をして、
「さうだなア?」などゝ沁々とした嘆声を洩しながら、わけもない退屈をかこつた。――(意久地がないんだ、肉体ばかりでなく……心が。)――「何か素晴しく激しい運動をしようと思つてゐるんだ、夜になると同時
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