に、ぐつたりとして死んだやうに眠れるほど。酒で眠るのはもう飽きた。」
「運動ツて、何?」
「…………」
水を吐き出す時は、傍で察する程苦しくはなく、たゞその勢ひに伴れて、肩を怒らせたり落したり、手首をひらひらさせたりするが、いよいよ水が枯れて、胃液がほとばしり出る時になると、まさしく格好だけは「七転八倒の苦しみ」であつた。彼は、
「ゲーーツ! ゲーーツ!」と、板のやうに胴体を平らにして、腸を絞つて喉を鳴した。
「ウツ、ウツ、ウ……あゝ、何といふ苦しいことだらう。」
思はず彼は、そんな叫びを洩して、蛙のやうにぺつたりと五指を拡げ伸した手の平でピシヤ/\と縁側を叩いた。また、
「ウーーツ! ウーーツ!」と、今にも息が絶え入りさうなうめき声を発しながら、ぐらぐらする流しの両端に噛りついて、千仞の谷底をのぞく臆病者のやうに上体を前方にのめり出した。また、
「ギヤツ、ギヤツ、ギヤツ!」といふ風な声を出して、徐ろに胸を撫で降したりするのであつた。――そして、少し落ち着くと、どつかりと其処に胡坐して勢急な呼吸が静まるのを、静かに空を見あげて待つた。
彼は、まだ飲酒が癖になつてゐるとは思はなかつた。だが彼は、己れの経験を歪んだ観察眼で、悉く卑下して一笑に附したがる程の悪癖を持つてゐた。
「晩酌と称する奴だけはやりたくないもんだね、あいつを始めたひにはもう爺いの部類に属してしまふんだからね。」などと彼は、変に若々しがつて、粗野な感傷に陥つたりしたこともあつた。
「もう始めたつて好い年輩だぜ、爺臭い親爺のくせに何時まで厭味たらしい……」
あべこべに友達から皮肉を浴せられて彼は、ハツと顔を赧くすることがあつた。実際では、まつたくだらしのない飲酒家になり、あの様に見苦しい醜態を日々演じてゐるのだ、たゞ何れの点から見ても所謂酒客の性がないばかりであつた。
「未《ま》だ?」
あまり彼が、ながく空を見あげて休息してゐると内から定つて促した。
「未だ。」と、彼は答へるのであつた。云ふまでもなく瞑想や感傷で空を見あげてゐるのではない、地におとすと折角静まつた胸が、またムカムカしてくる怖れがあるからなのだ。
だが、これは病気と呼ぶほどのものではないだけに形ばかりが飽くまでも物々しいばかりで、そして、どうしても斯んなに仰山な格好をせずには居られないので、吾知らず七転八倒の振舞ひをした揚句、後
前へ
次へ
全15ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング