は、美術学校と音楽学校の周囲を一周した。何処にも赤いジヤケツを着て、私の駒下駄をはいて出たといふHの姿は見あたらなかつた。
「居ないかね。」
「居ない!」
周子は門口にぼんやり立つてゐた。
「遊びに行く家があるの?」
「大概聞いて見た。」
「ぢや交番へ行かうか。」
私が斯ういふと周子の眼からは、新しい涙がぽろ/\とこぼれた。「迷子!」
「あんな小さい者が……とても番地は知らないね。俺の子供の時分の迷子札をお前は小田原から持つて来たが、あれを何故つけておかなかつたんだ。」
「付けておけば好かつた。」
「俺の名前は知つてゐるね。」
私は、さう云つて思はず笑つた。
「だつて、――名前だけぢや、とても……」
周子は笑はなかつた。
「あゝ、困つたな、――交番の帳面には皆な名前が付いてゐるんだらう。」
「駄目よ、そんなこと。」
「うむ、駄目だ。」
飛行機が飛んでゐた。
「お父さんのお名前は? と聞かれたら、知らないと云ふんだよ、と私が昨夜も今日も教へたのよ。」
「そしてヒデヲは何と云つた?」
「知らない、と云つてゐたわ。」
「チエツ!」
「どうしませう?」
「お前交番へ行つて来いよ。」
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