口なぬすつとだつたんだなあ!」
 といふ酷く感嘆のうめきが響いた。
 ミツキイを見破られたな! と僕は気づいたから、直ぐに其方へをどり込まうとすると、お銀が僕の腕を囚へて、
「あたしにだつて、そんなことは、とつくに解つてゐたんだよ。あのまゝぢや危いと思つたから、それで今日、こんな仕組をして、お前達を呼び出したのさ……わかつた?」
 と耳うちした。
 然し僕は凝つとして居られないので破目の隙間から、覗いて見ると、ミツキイは何も気づかずに、伝の傍らに、窮屈さうに胡坐を組んで煙草を喫してゐた。セピアの塗料を念入りに塗つたミツキイの横顔がはつきりと見えた。
「大丈夫だぞ、もう此処に来てからのことならば――」
 となほもお銀は僕にさゝやくのであつた。「今にあたしが、奴等を吃驚させてやるから見ておいでよ、もう暫く――」
「異人さん――何んにも知らないで色男振つてゐるね。」
 伝がそんなことを云ひながら、ミツキイの方へ腕を伸すと、ミツキイは、まつたく好い気で、伝と烈しい握手を交したりしてゐるのであつた。
「あゝあゝ、俺らは酔つ私つて来たぜ。」
 今度は、山犬の何某が、そんなことを呟きながらにや/\と笑つたかと思ふと、ごろりと横になつて、ミツキイの膝に頭を載せようとした。
「ゴツデム!」
 とミツキイは叫んだ。左う云ふ言葉を使ふべきである、と彼女はいつか僕に教はつた通りつくり声で唸つたのであるが、それがあまりに故意《わざ》とらしく響いた程、真実彼女は寒心に襲はれた風であつた。そして彼女は、いきなり奴の鼻柱を拳固で突いた。
「痛え/\――仲々、これでも力がありあがるぜ。嬉しいぜ……」
 男達の云ふことを聞いて見ると、彼等は、僕とミツキイに対しては、飽くまでも、ミツキイを見破つてゐないつもりにして置いて、徐ろに享楽を貪らうといふ計画なのであつた。
 素知らぬ風を装つて僕とお銀は、その部屋へ入つて行つた。
「ジヨンニーが、お前のことを聞くと、とても悦んで、お待ち兼ねだ。」
 伝が頤を撫であげながら、お銀に云つた。
「まあ嬉しい、ジヨンニーさん、好く来て呉れたわね。」
 お銀は、たくみなしな[#「しな」に傍点]をつくつてミツキイにとりすがつた。――男達が、わつといふ笑ひ声をあげた。ちやんと、もう、ミツキイのことを知つてゐて、奴等はあんなことを申し出てゐたのかと思ふと、さつきから、真面目さうな顔を保つて自分が、彼等に、俺の友達ばかりが君達のお銀にもてはやされるのを見てよくも平気で居られるね? などゝ訊ねたりしたことが、吾ながら滑稽で、口惜しかつた。
 お銀に聞いたところに依ると、もう彼等はずつと前からミツキイのことは感づいてゐて、いつか僕達がお銀を救ひに走つた時だつて、彼等の方が先を越して、はじめから、その魂胆であつたさうだつた。お銀を伴れ出す素振りで、僕達が聞き耳をたてゝゐるのも承知で、僕達の部屋へ忍び込んだのは、ミツキイの寝姿を見物するのが目的だつたといふことであつた。だが、その時はミツキイが武装のまゝ、ピストルを握つたまゝ椅子でうたゝ寝をしてゐるので、彼等は非常に落胆したといふことであつた。――どうかして僕達の手から短銃を奪つた後に、いよ/\ミツキイを掠奪しようと計画してゐるのであるが、彼等は飽くまでもピストルといふものを怖ろしい生物のやうに考へてゐて、うつかり触らうものなら無闇に弾丸が飛び出して来て、己れに命中するであらうと思つてゐるので、たぢろんでゐるのだ――等々のことを僕はお銀から聞かされた。
「お銀ちやん、ジヨンニーは承知だつてよ、今直ぐにでも好いから伴れ出して可愛がつて来いよ。」
 云ひながら、伝は僕に向つて、ミツキイが遠慮なくお銀を自由にするように――早く、ミツキイに通じて呉れ! などとせきたてるのであつた。
 そして彼等は、僕が何も気づいてゐないと思つてゐるので、さかんに卑猥なことを口にして、皮肉な哄笑を挙げるのであつた。
「お前は、ジヨンニーなんて云ふ友達があるから、休みの日であらうとなからうと、村になんて来たくはなからうね。」とか「男同志でも、お前達位仲が好かつたら、色女などは欲しくはあるめえよ。」
「あつはつは……、異人といふのは男でも、女のやうにおとなしいものかね。」
「俺達にも、ちつと英語とやらを教へて呉れろよ――何とか云つて、口の先をくつ付け合ふ、そこんところだけで好いから、言葉を教へて呉れよう――伝や、禿鷹なんぞぢや真つ平だが、ジヨンニーさん見たいな綺麗な男とならば……だね。」
 彼等は、次第に酔の火の手をあげて、大騒ぎであつた。お銀からの理由を訊かぬ昨日までは、思へば、それに類するお世辞見たいなことを屡々彼等から聞かされて僕は却つて得意さうな顔を保つてゐたものゝ、今となつて見ると、毒々しい皮肉が僕の胸を嵐のやうに掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]つた。
「おい、何うだい、今のうちに皆なで一風呂浴びようぢやないか。」
 突然そんなことを云ひ出した男があつた。
「ジヨンニーさんも一緒に入れ――俺らが背中を流してやらうよ。」
「あつはゝゝゝ、ジヨンニーさんはお前と一緒でなければ、うんと云はねえか?」
 さう云つて僕の方へ顔を突き出した男の酒臭い呼吸《いき》が、僕の鼻先に触れた時、僕はいよ/\堪らなくなつて、
「馬鹿ツ!」
 と一喝すると同時に、力任せに其奴の頬つぺたをグワンと擲つた。
 ――ミツキイは、何時もの僕達の単なる酒興の戯れかとばかり思つて、相変らずのアパツシユ気どりの身構へで頬笑んでゐた。
「おや/\、怒つたのかね?」
「あたり前だ――あんまり人を馬鹿にするない。」
「面白いね。喧嘩かね?」
 むく/\と起きあがる男があつた。
「ジヨンニーは――俺の雇主のお嬢さんミツキイてんだ。それが、何うしたんだと云ふんだ。」
 僕も起き上つて叫んだ。
「よしツ!」
 と、伝が叫んだ。
「手前達こそ俺達を馬鹿にしてゐやがつたんだ。畜生奴、女と、事が決《わか》れば、もう此方のものだ。」
 男共がワツと叫んで僕とミツキイに飛びかゝつた時、ミツキイは手早く引金を引いたのだ――無論空砲なのだが、銃声が響き渡ると、奴等は忽ちワーツといふ悲鳴をあげて戸外へ転げ出た。
「警官なんて居ない村だよ。場合に依つたら実弾込めて、奴等の脚もとをねらつて御覧!」
 僕が続けて空砲を打ちながらミツキイに告げると、彼女は狂喜の叫びを挙げて、腰帯から弾丸を取り出すと、正しく実弾を込めた。
 Hurrah《ウラー》 !
 ミツキイは、ラルウに飛び乗つて河堤を一散に追跡したが、必死になつて逃げ惑ふ狼達の速力は、馬よりも速やかで、銃声が鳴る毎にぴよんと宙に飛びあがつたり、尻持ちをついたりしながら、空に向つて救けを呼ぶ声が続いた。
「ミツキイ、ミツキイ――早く出発の用意をしないと日暮れまでは市に着き損ふから、もう引き返してお出でよ。」
 僕は、声を限りに呼ばはつたが、ミツキイは堤下《どてした》のもろこし畑に逃げ込んだモモンガアを追ひまくつて、切《しき》りに短銃の音を響かせてゐた。
 僕はお銀と二人で堤の上から、嵐のやうにざわめいてゐるもろこし畑の騒ぎを見物してゐたが、僕の呼声に応じて時折答へるミツキイの音声は、一段と巧みな有頂天の男らしいつくり声であつた。この騒動の原因を知らされてゐないミツキイは、勿論未だ、勇敢なジヨンニーの心意《つもり》で荒れ回つてゐたのである。



底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 オール讀物号 第二巻第六号」文藝春秋社
   1932(昭和7)年6月1日発行
初出:「文藝春秋 オール讀物号 第二巻第六号」文藝春秋社
   1932(昭和7)年6月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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