る伐木工場である。僕は、工場主であるアメリカ人のミツキイの父親に雇はれて、その一ト夏をそこの山小屋で働くために、「冒険」といふ言葉に止め度もなく麗らかな憧れを抱いてゐる十八才のミツキイを伴つて、早春の頃から山に住んだ。
 橇引きの伝《でん》は、名前よりも狼といふ仇名の方が有名で、何年か前に村里の居酒屋で酌婦の奪ひ合ひから大立廻りを演じて、相手の炭焼の男を殴り殺した。山猫といふ通称を持つた樵夫の吉太郎は、嘗ては強盗を働いた経験があるといふことを、山で酒に酔ふと(里では決して口にしないといふ。)寧ろ得意さうに吹聴するのが習慣であつた。現在でも、春秋二季に訪れる山廻りの役人が現れると「狼」と「山猫」は、森林の一番奥の洞窟にかくれて、二日でも三日でも、其処に泊つてゐるとのことであつた。二人の他にも、役人の眼を怖れて洞窟に逃げ込む連中には、やはり、猪とか、山犬とか、荒熊とか、モモンガアとか、蝮とか、禿鷹とかいふやうな動物の名で称ばれてゐる、それはもうたしかに土人と云ふより他に見様のない人物が居たが、僕は屡々彼等と共に酒盃を挙げたり、村里に繰り込んで彼等の鞘当喧嘩の仲裁をしたり、また、山小屋の囲炉
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