向つて案内をいそがせてゐる様子であつた。また執達吏の兵田は、抱鞄の中から部厚な書状を取出して、歩みを運びながら鉛筆を持つて支細らしくいろいろと誌を付してゐるのが窺はれた。
 真実私は、この家に対しては数へきれぬ理由から此方側が莫大な債権を有してゐる身で、若しも私が怒つたならば難なく「支払命令」を突きつけることが可能であつたが、そして私は、この家に対しては前々からこの上もなく怒つてゐるのであつたが、その怒りを発表する段になると、役所に何々といふ積立金を収めない上は法の施しようのない事を知つたのである。勿論、そんな積立金などが私の手許にありよう筈はなかつた。
 酒倉の扉の前に達すると、思ひなしか消沈の意気で首垂れてゐるらしい音無の主が、徐ろにかきがねを外すと、ギイといふ音を立てゝ観音開きの扉をおした。その音を私は、梢の蔭ではつきりと聴いた。
 稍しばらくの時が経つてから、いよいよ酒樽が二人の男衆に荷はれて、次々に、二つ、三つ、五つと担ぎ出された。
 そこに高張提灯をつけて、五種類の酒の出来具合を収税吏と農林技士が吟味しようといふのである。一方、執達吏の兵田は、醸造高を点験して「差押へ」の思
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