無なく、この五つの酒倉に差押への赤札を貼るべき権利を持つてゐる者ですぞ。」
 くゞり戸があいて弥介の姿が闇に吸はれた様子を見てとると私は、三番目の酒蔵の塀側に亭々と聳えてゐる樅の梢を指差して、
「ロープ」
 と号令した。
 綱は竜巻のいきほひで、空を切つて見あげる酒倉の屋根にさしかゝつた梢にからまつた。二条、三条……と次々に綱は枝に懸ると見ると、私達は飛鳥の早業で枝から枝へつたはつた。
 私は、先端に鉄の大鉤のついた一本の綱を酒倉と酒倉の間の地に落し綱の中腹に大型の滑車をとりつけ、太い腕木のやうな枝に結びつけた。外側では五人の皮手袋が、綱の一端をつかんで、私達の合図を待つてゐるのであつた。
 これ位ひの高さの木の上で行ふ離れ業は、八十八段もあるR漁場の魚見櫓での作業に慣れてゐる私達にとつては遊戯にも等しいものであつた。
 私は額に手を翳して、木の間を洩れる月光のまぶしさをさへぎりながら、凝つと母家の様子を窺つてゐると、やがて二張りの提灯を先に立てゝ五六体の人影が、そろそろと酒倉の方へすゝんで来た。
 収税吏にその身を窶した大学生の田野流吉が何やら切りと指をあちこちに差しながら提灯持ちに
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