でを共にするまでに至つたかの筋みちを短篇小説に描いたこともあり、実際の経験をとりあげる場合には何時も私は人物の名前をも在りのまゝを用ひるのが習慣なのだが、その時も終始彼の代名詞は単に「御面師」とのみ記入してゐた。私はそのころ「御面師」なる名称の存在を彼に依つてはじめて知り、稍奇異な感もあつて、実名の頓着もなかつたまでなのだつたが、後に偶然の事から彼の名前は水流舟二郎と称ぶのだと知らされた。私はミヅナガレと読んだが、それはツルと訓むのださうだつた。
「この苗字は私の村(奈良県下)では軒並なんですが――」と彼はその時も、ふところの中に顔を埋めるやうにして呟いだ。「苗字と名前とが恰で拵へものゝ戯談のやうに際どく釣合つてゐるのが、私は無性に恥しいんです。それに何うもそれは私にとつてはいろいろと縁起でもない、これまでのことが……」
彼はわけもなく恐縮して是非とも忘れて欲しいなどと手を合せたりする始末だつたのである。そんな想ひなどは想像もつかなかつたが、私は難なく忘れて口にした験もなかつたのに、ツマラヌ連想から不意とその時、人の名前といふほどの意味もなく、その文字面を思ひ浮べたらしかつたのである。
それはさうと、その頃私の身には飛んだ災難が降りかゝらうとしてゐるらしいあたりの雲行であつた。
「今度、踊りの晩に、担がれる奴は、おそらく彼の酒倉の居候だらう。」
「畢竟するに、野郎の順番だな。」
私を目指して、この怖るべき風評が屡々明らさまの声と化して私の耳を打つに至つてゐた。あの戦慄すべきリンチは、季が熟したとなれば祭りの晩を待たずとも、闇に乗じて寝首を掻れる騒ぎも珍らしくはない。私たちが此処に来た春以来からでさへも、三度も決行されてゐる。
現に私も目撃した。花見の折からで「サクラ音頭」なる囃子が隆盛を極めてゐた。夜毎夜毎、鎮守の森からは、陽気な歌や素晴しい囃子の響が鳴り渡つて、村人は夜の更るのも忘れた。あまり面白さうなので私も折々遅ればせに出かけては石灯籠の台に登つたりして、七重八重の見物人の上から凝つと円舞者連の姿を視守つてゐた。円陣の中央には櫓がしつらはれ、はじめて運び込まれたといふ、拡声機からはレコードの音頭歌が鳴りも止まずに繰返されて梢から梢へこだました。それといつしよに櫓の上に陣取つてゐるお囃子連の笛、太鼓、擂鐘、拍子木が節面白く調子を合せると、それツとばかりに
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