達がつくつた成人《おとな》用の御面なので、五体にくらべて顔ばかりが大変に不釣合なのが奇抜に映つた。音頭大会の日取は未だ決らないが、出場者の多くは面をかむらうといふことになつて、日々に註文が絶えなかつた。たとへこれが今や全国的の流行で踊りとなれば老若の別もないとは云ふものゝ、まさか素面では――とたぢろいて二のあしを踏む者も多かつたが、仮面をかむつて、――といふ智慧がつくと、われもわれもと勇み立つた。名誉職も分限者も教職員も自ら乗気になつて出演の決心をつけた。どんな歌詞かは知らぬが鬼涙《キナダ》音頭なる小唄も出来て「東京音頭」の節で歌はれるといふことであつた。
「面をかむつてゐれば、担がれる[#「担がれる」に傍点]といふ騒ぎもなくなるだらう――やがては、あの永年の弊風が根を絶つことにでもなれば一挙両得ともなるではないか。」
 一方では斯ういふ噂が高かつた。由来、このあたりでは村人の反感を買つた人物は屡々この「担がれる」なる名称の下に、世にも惨澹たるリンチに処せられた。
 ……「おい/\、ツル君、はやくあがつて来ないか。」
 私は、いつまでも外気に顔を曝してゐることに「或る危惧」を覚えたので、未だ酔ひを醒してもゐなかつたのだが、御面師に声をかけた。それに干場の面型をかぞへて見ると辛うじて十二三の数で、あれがきのふまでの三日がかりの仕事では今夜あたりは徹宵でもしなければ追ひつくまいと心配した。私は、うしろの棚から鬼の赤、青、狐の胡粉、天狗の紅の壺などを取りおろし、塗刷毛で窓を叩きながらもう一遍呼ぶのだが、彼は振向きもしなかつた。
「聞えないのか――」
 私は怒鳴つてから、さうだ口にしない約束だつた彼の名前を思はず呼んでしまつたと気づいた。彼は自分の姓名を非常に嫌ふといふ奇癖の持主で、うつかりその名を呼ばれると時と場所の差別もなく真赤になつて、あはや泣き出しさうに萎れるのであつた。
「厭だ/\/\、堪らない……」と彼は身震ひして両耳を掩つた。それ故彼は、滅多な事には人に自分の姓名を明したがらず、
「えゝ、もう私なんぞの名前なんてどうでもよろしいやうなもので……」と言葉巧みにごまかしたが、それは徒らな謙遜といふわけでもなく、実はそれが神経的に、そして更に迷信的に適はぬといふのであつた。それで私も久しい間彼の名前を知らなかつたし、また不図した機会から彼と知合になり、どうして生活ま
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