子だけは如何にも胆に命じて驚いたといふ恰好だが、本心は何んなことにも驚いてはゐない如く、眼先はあらぬ方をきよとんと眺めてゐるのだ。多分彼は、真実の驚きといふ感情は経験したためしは無いのではなからうか。――頤骨がぎつくりと肘のやうに突き出て、色艶は塗物のやうな滑らか気な艶に富み、濃褐色であつた。額が木魚のやうなふくらみをもつて張出し、耳は正面からでも指摘も能はぬほどピツタリと後頭部へ吸ひつき、首の太さに比較して顔全体が小さく四角張つて、何処でもがコンコンと堅い音を立てさうだつた。また首の具合が如何にも亀の如くに、伸したり縮めたりする動作に適して長くぬらくらとして、喉の中央には深い横皺が幾筋も彫まれてゐた。え? え? え? と横顔を伸して来る時に、不図間ぢかに見ると眉毛も睫毛も生えてゐないやうだつた。
 無論彼等が村人に狙はれるのは、さまざまな所業の不誠実さからだつたが、私は他の凡ゆる人々の姿を思ひ浮べても、彼等程その身振風態までが、担がれるのに適当なものを見出せなかつた。彼等の所行の善悪は二の次にして、たゞ漫然と彼等に接したゞけで、最早充分な反感と憎しみを覚えさせられるのは、何も私ひとりに限つたはなしではないのだ、などゝ頷かれた。いつかの万豊のやうに、スツポンや法螺忠が担ぎ出されて、死者狂ひで喚き立てる光景を眺めたら、何んなにおもしろいことだらう、親切ごかしや障子の穴の猿共がぽんぽんと手玉にとられて宙に跳上るところを見たら、さぞかし胸のすくおもひがするだらう――私は、彼等の話題などには耳もかさず、ひたすらそんな馬鹿/\しい空想に耽つてゐるのみだつた。
「……俺アもうちやんとこの眼で、この耳で、繁や倉が俺たちの悪い噂を振りまいてゐるところを見聞してゐるんだ。」
「ほゝう、それあまたほんとうのことかね。」
「奴等の尻おしが籔塚の小貫林八だつてことの種まであがつてゐるんだぜ。」
「林八を担がせる手に出れば有無はないんだがな。」
 彼等は口を突出し、驚いたり、歯噛みしたりして画策に夢中だつた。――稀に飲まされた酒なので、好い加減に酔つて来さうだと思はれるのに一向私は白々としてゐるのみで、頭の中にはあの壮烈な騒ぎの記憶が次々と花々しく蘇つてゐるばかりだつた。
「何うでせうね。代金のことは切り出すわけにはゆかないもんでせうかな。まさか振舞酒で差引かうつて肚ぢやないでせうね。」
 
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