るやいなや狐のように前へのめると、やにわに径《みち》も選ばず一直線に畑を突き抜いて、彼らの行手を目指した。街道は白く弓なりに迂廻《うかい》しているので忽《たちま》ち私は彼らの遥《はる》か行手の馬頭観音の祠《ほこら》の傍らに達し、じっと息を殺して蹲《うずくま》ったまま物音の近づくのを待伏せした。突撃の軍馬が押寄せるかのような地響をたてて、間もなく秘密結社の一団は、砂を巻いて私の眼界に大写しとなった。非常な速さで、誰も掛声ひとつ発するものとてもなく、唯不気味な息づかいの荒々しさが一塊《ひとかたまり》となって、丁度機関車の煙突の音と間違うばかりの壮烈なる促音調を響かせながら、一陣の突風と共に私の眼の先をかすめた。見ると連中は挙《こぞ》って鬼や天狗、武者、狐、しおふき等の御面をかむって全くどこの誰とも見境いもつかぬ巧妙無造作な変装ぶりだった。ただひとり彼らの頭上にささげ上げられて鯉のように横たわったまま、悲嘆の苦しみに※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き返り、滅茶苦茶に虚空を掴《つか》んでいる人物だけが素面で、確《しか》とは見定めもつかなかったが、やはり正銘な万豊の面影だった。その衣服はおそらく途中の嵐で吹飛んでしまったのであろうか、彼は見るも浅ましい裸形のなりで、命かぎりの悲鳴を挙げていた。たしかに何かの言葉を吐いているのだが、支那かアフリカの野蛮人のようなおもむきで、まるきり意味は通じなかった。ただ動物的な断末魔の喚《わめ》きで気狂いとなり、救いを呼ぶのか、憐《あわ》れみを乞《こ》うのか判断もつかぬが、折々ひときわ鋭く五位鷺《ごいさぎ》のような喉を振り絞って余韻もながく叫びあげる声が朧夜の霞を破って凄惨この上もなかった。と、その度《たび》ごとに担ぎ手の腕が一斉に高く上へ伸びきると、逞《たく》ましい万豊の体躯は思い切り高く抛《ほう》りあげられて、その都度空中に様々なるポーズを描出した。徹底的な逆上で硬直した彼の肢体は、一度は鯱《しゃちほこ》のような勇ましさで空を蹴って跳ねあがったかとおもうと、次にはかっぽれの活人形《いきにんぎょう》のような飄逸《ひょういつ》な姿で踊りあがり、また三度目には蝦《えび》のように腰を曲げて、やおら見事な宙返りを打った。そして再び腕の台に転落すると、またもや激流にのった小舟の威勢で見る影もなく、拉《らっ》し去られた、――私は堪らぬ義憤に駆られて、夢中で後を追いはじめたが忽ち両脚は氷柱《つらら》の感で竦《すく》みあがり、空《むな》しくこの残酷なる処刑の有様を見逃さねばならなかった。空中に飛びあがる憐れな人物の姿が鳥のように小さく遠ざかってゆくまで、私は唇を噛み、果ては涙を流して見送るより他は術《すべ》もなかった。――それにしても私は、こんな奇怪な光景を眼のあたりに見れば見るほど、見知らぬ蛮地の夢のようでならなかった。
 後に聞くところに依ると、あの激しい胴上げを十何遍繰返しても気絶をせぬと、村境いの川まで運んで、流れの上へ真っさかさまに投げ込むのだそうである。結社の連中は必ず覆面をして黙々と刑を遂行するから、被害者は誰を告訴するという方法もなく、人々は一切知らぬ顔を装うのが風習であり、何としても泣寝入より他はなかった。
 あの時の万豊の最後は、あれなり私は見届け損《そこな》ったが、狙《ねら》われたとなれば祭りや闇の晩に限ったというのでもなく、蛍の出はじめたころの或る夕暮時に、村会議員のJ氏が役場帰りの途中を待伏せられて、担がれたところを、私は鮒釣《ふなつり》の帰りに目撃した。彼は達者な泳ぎ手で、難なく向岸へ抜手を切って泳ぎついたが、とぼとぼと手ぶらで引あげて行った折の姿は、思い出すも無惨な光景で私は目を掩《おお》わずには居られなかった。
 鵙《もず》の声などを耳にして、あの時のことを思い出すと、私にはありありと万豊の叫びや議員のことが連想された。やがては次第に私も迷信的にでも陥ったせいか、水流舟二郎などという文字を考えただけでも、臆病げな予感に脅やかされた。あの胴上《どうあげ》もさることながら、この寒さに向っての水雑炊と来ては思うだに身の毛のよだつ地獄の淵《ふち》だ。私は、水だの、流れだのという川に縁のある文字を感じても、不吉な空想に震えた。定めとてもない漂泊の旅に転々として憂世《うきよ》をかこちがちな御面師が、次第に自分の名前にまでも呪咀《じゅそ》を覚えたというのが、漠然ながら私も同感されて見ると、私は彼との悪縁が今更の如く嗟嘆《さたん》されたりした。
 澄み渡った青空に、鵙の声が鋭かった。往来の人々が、何か胡散《うさん》臭い目つきでこちらを眺める気がして私は、いつまでも窓から顔を出していることも出来なかった。
「そんな色に塗られては……」
 戻って来た御面師が、慌てて私の腕をおさえた。なるほど私はうかうかと青の泥絵具を、紅を塗るべき天狗の面になぞっているのに気がついた。

       二

 万豊やJ氏がどんな理由で担がれたものか、私は知らなかったが、人々が私への反感の最初の動機は、J氏の災難の時に、私が見ぬ振りを装ってその場を立去らなかったばかりか、彼に肩を借して共々に引上げて行ったというのが起りであった。尤《もっと》もそれが村の不文律を裏切った行為であるというのを知らなかった者である故、あたり前なら一先ず見逃さるべきはずだったが、日頃から私の態度を目して「大風《おおふう》で生意気だ。」と睨《にら》んでいた折からだったので、これが条件として執りあげられ、やがてリンチの候補者に指摘されるに至ったらしいのであるが、私として見るとそれくらいのことで狙われる理由にもならぬとも思われた。
「いいえ、そりゃ、ただのおどかしだということですぜ。今度から、そんな場合を見たら素知らぬ顔で脇さえ見ていれば好《い》いのだ、気をつけろという遠廻しの忠告ですってさ。やるとなれば前触れなんてするはずもないじゃありませんか。」
 御面師はそれとなく附近の模様を探って来て、私に伝えた。――「今度の秋の踊りまでには出演者は皆な仮面《めん》を、そろえようということになっているんだから、私たちがいなくなったら台なしでしょうがな。それに近頃また日増《ひまし》に註文が増えるというのは、何も連中は体裁をつくる仕儀ばかりじゃなくって、脛に傷持つ方々が意外の数だというんです。仮面《めん》さえかむっていれば担がれる心配がないというところから……」
「でも、いつかのJさんの場合などがあるところを見ると、何も踊りの晩ばかりが――」
「いい、あれは、ただの喧嘩だったんですってさ。担ぐのは、踊りの晩に限られたしきたりなんで。」
「それなら何も僕はあの時のことを非難されるには当らなかったろうに。」
 そうも考えられたが、村政上のことで村人の仇敵《きゅうてき》になっているJ氏だったので思わぬとばっちりが私にも降りかかったのであろう、と思われるだけだった。
 さっきから御面師は、頻りと私を外へ誘いたがるのだが、私はどうも闇が怖《こわ》くてたじろいでいたところ、そんな風にはなされてみると、たとえ自分がブラック・リストの人物とされていようとも、当分は大丈夫だという自信も湧いた。それに踊りの頃になったにしろ、そんなに大勢の候補者があると思えば、何も自分が必ずつかまるというわけでもなかろうし、そんな懸念はむしろ棄てるべきだ、おまけに多くの候補者のうちではおそらく自分などは罪の軽い部ではなかろうか――などと都合の好さそうな自惚《うぬぼ》れを持ったりした。
 出歩きを怕《こわ》がって、万豊などに使を頼むのは無駄だから、これから二人がかりでそれぞれの註文主へ納め、暫くぶりで倉の外で晩飯を摂《と》ろうではないかと御面師が促すのであった。
「ひと思いに、景気好く酒でも飲んだら案外元気がつくでしょうが。」
「……僕もそんな気がするよ。」と私は決心した。仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につつんで、私に渡すに従って、私は筆を執って宛名《あてな》を誌《しる》した。
「ええ、赤鬼、青鬼――これは橋場の柳下杉十郎と松二郎。お次は狐が一つ、鳥居前の堀田忠吉。――いいですか、お次は天狗が大小、養魚場の宇佐見金蔵……」
 御面師は節をつけてそれぞれの宛名を私に告げるのであった。私は宛名を誌しながら、次々の註文主の顔を思い浮べ、あの四、五人が先ず最近の血祭りにあげられるという専らの噂だがと思った。
 何十日も倉の中に籠《こも》ったきりで、たまたま外気にあたってみると雲を踏んでいるような思いもしたが、さすがに胸の底には生返った泉を覚えた。――随分とみごとに面の数々がそちこちの家ごとに行渡ったもので、家々の前に差かかる度に振返って見ると、夕餉《ゆうげ》の食卓を囲んだ燈《あかり》の下で、面を弄《もてあそ》んでいる光景で続けさまに窺《うかが》われた。どこの家も長閑《のどか》な団欒《だんらん》の晩景で、晩酌に坐った親父《おやじ》が将軍の面をかむってみて家族の者を笑わせたり、一つの面を皆なで順々に手にとりあげて出来栄《できば》えを批評したり、子供が天狗の面をかむって威張ったりしている場面が見えた。そろいの着物なども出来あがり、壁には花笠や山車《だし》の花がかかって、祭りの近づいているけしきはどの家を眺めても露《あら》わであった。
「皆な面をもって喜んでいるね。万豊の栗拾いたちが、好《よ》くもあんなにそろって面を持出したとおもったが――飛んだ役に立てたものだな。」
「なにしろ玩具《おもちゃ》なんてものを不断|持扱《もちあつか》わないので、子供の騒ぎは大変だそうですよ。」
 うっかりと夜道を戻って来た酔払いなどが突然狐や赤鬼に嚇《おどか》されて肝《きも》を潰《つぶ》したり娘たちがひょっとこに追いかけられたりする騒ぎが頻繁《ひんぱん》に起ったりするので、当分の間は子供の夜遊びは厳禁しようと各戸で申合せたそうだった。

       三

「水流《つる》さんや、お前《め》えもよっぽど用心しねえと危《あぶ》ねえぞ。丸十の繁から俺は聴いたんだが、お前えは飛んだ依怙贔負《えこひいき》の仕事をしているってはなしじゃないか、家によって仕事の仕ぶりが違うってことだよ。」
 杉十郎は自分に渡された面をとって、裏側の節穴を気にした。
「俺ア別段どうとも思やしないんだが、人の口は煩《うるさ》いからな。」
 彼は一度村長を務めたこともあるそうだが、日常のどんな場合にでも自分の意見を直接相手につたえるというのではなくて、誰がお前のことをどういっていたぞという風にばかり吹聴して他人と他人との感情を害《そこな》わせた。そして、その間で自分だけが何か親切な人物であるという態度を示したがった。彼も例の黒表の一名だが、おそらくその原因は、その「親切ごかし」なる渾名《あだな》に依ったものに違いなかった。伜《せがれ》の松二郎がまた性質も容貌《ようぼう》も父に生写しで「障子の穴」という渾名であった。
 眼のかたちが障子の穴のように妙に小さく無造作で、爪の先で引掻いたようだからという説と障子の穴から覗《のぞ》くように他人の噂を拾い集めて吹聴するからだという説があったが、彼らに対する人々の反感は積年のもので、一度はどちらかが担がれるだろう、親と子と間違えそうだが、間違ったところで五分五分だといわれた。
「繁ひとりがいっているんじゃないよ、阿父《おとう》さん――」と松は何やらにやりと笑いを浮べながら父親へ耳打ちした。
「ふふん、酒倉の伊八や伝までも――だって俺たちは別にこの人たちをかばうわけでもないんだが、そんなに訊《き》いてみると……な、つい気の毒になって……」
「やめないか。僕らは何も人の噂を聞きに来たわけじゃないぞ。もし、この人の仕事について君たち自身が不満を覚えるというなら、そのままの意見は一応聴こうぜ。」
 私は二人の顔を等分に見詰めた。抗弁をしようとして御面師は一膝《ひとひざ》乗り出したのだが、自分もやはり担がれる部の補欠になっているのかと気づくと、舌が吊《つ》って言葉が出せぬらしかった。今更ここで抗弁したところ
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