涙《きなだ》音頭なる小唄も出来て「東京音頭」の節で歌われるということであった。
「面をかむっていれば、担がれる[#「担がれる」に傍点]という騒ぎもなくなるだろう――やがては、あの永年の弊風が根を絶つことにでもなれば一挙両得ともなるではないか。」
 一方ではこういう噂《うわさ》が高かった。由来、このあたりでは村人の反感を買った人物はしばしばこの「担がれる」なる名称の下に、世にも惨澹《さんたん》たるリンチに処せられた。
 ……「おいおい、ツル君、はやくあがって来ないか。」
 私は、いつまでも外気に顔を曝《さら》していることに「或る危惧」を覚えたので、まだ酔いを醒してもいなかったのだが、御面師に声をかけた。それに干場の面型をかぞえて見ると辛《かろ》うじて十二、三の数で、あれがきのうまでの三日がかりの仕事では今夜あたりは徹宵でもしなければ追いつくまいと心配した。私は、うしろの棚から鬼の赤、青、狐の胡粉《ごふん》、天狗の紅の壺などを取りおろし、塗刷毛《ぬりばけ》で窓を叩きながらもう一遍呼ぶのだが、彼は振向きもしなかった。
「聞えないのか――」
 私は怒鳴ってから、そうだ口にしない約束だった彼の名
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