で役にも立たぬと彼はあきらめようとするのだが唇が震えて、思わず項垂《うなだ》れていた。
「わしらには何も別段いうことはないよ。だが、だね……」
「いうことがないんなら、だが、も、しかし、もあるまい。」
「折角、面が出来あがったという晩に今更口論もないものさ。橋場の叔父御《おじご》の口も多いが、酒倉の先生の理窟《りくつ》は世間には通りませんや、だが、も、しかしもないで済めば浮世は太平楽だろうじゃないか。あははは。」
 堀田忠吉は獣医の「法螺《ほら》忠」という渾名《あだな》だった。私たちとしては何もこれらの人々の註文を特に遅らせたというわけでもなく、ただ方面が一塊りだったから、努めて取りまとめて届けに来たまでのことである。丁度、養魚場の金蔵なども柳下の家に集って酒を飲みながら何かひそひそと額をあつめて謀《はかりごと》に耽《ふけ》っているところだった。――まあ一杯、まあ一杯と無理矢理に二人をとらえて仲間に入れたが、彼らのいうことがいちいち私たちの癇《かん》にさわった。「そんなのなら、ええ、もう、好《よ》うござんす、品物は持って帰りましょう。難癖をつけられる覚えはないんですもの。」
 御面師は包みを直して幾度も立上ったが、忠吉と金蔵が巧みになだめた。
「田舎の人は、ほんとうに人が悪い。うっかりいうことなどを信じられやしない。」
 私もそんなことをいった。
「そ、それが、お前さんの災難のもとだよ。折角人のいうことに角を立てて、むずかしい理窟を喰《く》っつけたがる。もともと、お前さんが狙われ、水流《つる》さんにまで鉾先《ほこさき》が向いて来たというのは、お前さんのその短気な大風《おおふう》が祟《たた》ったということを考えてもらわなければならんのだが、今が今どう性根を入れ換えてくれという話じゃない。人のいうことを好く聞いてもらいたいというものだ――俺たちは今、村の者でもないお前さんたちが担がれては気の毒だと思って、対策を講じているところなんじゃないか。」
 杉十郎がこんこんと諭《さと》しはじめるので私たちも腰を据えたが、彼らのいうことはどうもうかうかとは信ぜられぬのであった。その話を聴くと、私たちばかりが、矢面《やおもて》の犠牲者と見えたが、柳下父子を初めとして、法螺忠や金蔵の悪評は、桜の時分に此処《ここ》に私たちが現われると直ぐにも聞いたはなしで、彼らが夜歩きや踊り見物に現われるのを見出す者はなかった。
「僕たちとしたって、もしもここの青年だったら、やはり彼らを狙うだろうな。」
「それあ、もう誰にしろ当然で、私なら先ず最初に法螺忠を――」
「彼らは自分たちが狙われているのを秘《かく》そうとして、俺などを巻添えにするようだよ。どう考えても俺は自分が彼らより先に担がれようなどとは思われないよ。」
「無論その通りですとも。奴らのいうことなんて気にすることはありませんさ。」
 私と御面師は、そんなことを話合い、むしろ万豊やJ氏が先に難を蒙《こうむ》ったのを不思議としたこともあった。
 私は、囲炉裏のまわりに、偶然にも容疑者ばかりが集ったのを、改めて見廻した。そして、人の反感や憎念をあがなう人物というものは、その行為や人格を別にして、外形を一|瞥《べつ》したのみで、直に堪らぬ厭味を覚えさせられるものだとおもった。人の通有性などというものは平凡で、そして的確だ。私にしろ、もしも凡ての村人を一列にならべて、その中から全く理由もなく「憎むべき人物」を指摘せよと命ぜられたならば、やはりこれらの者どもと、そして万豊とJを選んだであろうと思われた。
 杉十郎と松は父子のくせに、まるで仲間同志の口をきき合い、折りに触れては互いにひそひそと耳打ちを交して点頭《うなず》いたり冷笑を浮べてどうかすると互いの肩を打つ真似をした。親密の具合が猿のようだ。父と子であるからにはよほどの年齢が相違するだろうにもかかわらず、二人とも四十くらいに見え、言語は聞直さないといかにも判別も適わぬ不明瞭さで、絶間もなくもぐもぐと喋《しゃべ》り続けるにつれて口の端に白い泡が溢れた。そして、手の甲で唇と舌とを横撫でして、おまけにその手の甲を何で拭《ぬぐ》おうとするでもなく、そのまま頭を掻いたり肴《さかな》をつまんだりした。指の先は始終こせこせとして皿や小鉢を他人のものも自分のものもちょっちょっと位置を動かしたり、いろいろの食いものをほんの豆の端ほど噛んで膳の縁に置き並べたり、その合間には小楊枝《こようじ》の先を盃に浸して膳の上に文字を書いた。癖までが全く同じようで、松が時々|差挟《さしはさ》む「阿父さん」という声に気づかなければ、双児《ふたご》のようだった。
 法螺忠は何か一言いうと、あははと馬のように大きな黄色の歯をむき出して笑い、それにつれてゲーッ、ゲーッと腹の底から込みあげる蒸気のような
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