ゲップを遠慮会釈もなく放出して「どうも胃酸過多のようだ。」と呟きながら奥歯のあたりを親指の腹でぐいぐいと撫でた。鼻はいわゆるざくろ鼻というやつだが、ただ赤いばかりでなく脂光《あぶらびかり》にぬらついて吹出物が目立ち、口をあくごとに二つの小鼻が拳骨《げんこつ》のように怒り鼻腔が正面を向いた。そして笑ったかとおもうと、その瞬間に笑いの表情は消え失せて、相手の顔色を上眼づかいに憎々しげに盗見《ぬすみみ》しているのだ。
「よろしい、俺が引受けたぞ。」
 彼は折々突然に開き直って、いとも鹿爪《しかつめ》らしく唸《うな》り出すと大業《おおぎょう》な見得《みえ》を切って斜めの虚空を睨《ね》め尽したが、おそらくその様子は誰の眼にも空々しく「法螺忠」と映るに違いないのだ。
「忠さんが引受けたとなれば、それはもう俺たちは安心だけど、だが――」と松は神妙に眼を伏せて楊枝の先を弄しながら、誰々を抱き込んで一先ず背水の陣を敷き、などと首をひねっていた。法螺忠のそんな大業な見得に接しても至極自然な合槌《あいづち》を打てる松どもも、また自然そうであればあるだけ心底は不真面目と察せられるのだ。彼らは、何か選挙運動に関する思惑《おもわく》でもあるらしかった。柳下杉十郎が再度村会へ乗出そうという計画で、法螺忠やスッポンが運動員を申出たものらしかった。自分たちが当今村人たちから、あらぬ反感を買っているのは反対党の尻おしに依るものである故、当面の雲行を「或《あ》る方法で」乗切りさえすれば、飜然として一時に信用は奪い返せるはずだという如き自負に安んじている傾きであるが、彼らへ寄せる村人らの反感はむしろ彼らへの宿命的な憎念に発するものに違いなかった。スッポンというのは養魚場の宇佐見金蔵の渾名《あだな》で、彼は自ら空呆《そらとぼ》けることの巧みさと喰いついたら容易に離さないという執拗ぶりを誇っていた。彼は松のいうことを、え?え?え? と仔細らしく聞直して、相手の鼻先へ横顔を伸し、たしかに聞き入れたというハズミに急に首を縮めて、
「一体それは、ほんとうのことかね」と仰山にあきれるのだ。――「だが、しかし万豊の芋畑を踊舞台に納得させるのはれっきとした公共事業だ。堀田君と僕は、先ずこの点で敵の虚を衝《つ》き……」と彼はふと私たちに聴かれては困るというらしく口を切って、法螺忠や障子の穴へ順々と何事かを囁《ささや》いたりした。そして、うつらうつらと首を振っていた。彼の眼玉は凹《くぼ》んだ眼窩《がんか》の奥で常々は小さく丸く光っているが、人が何かいうのを聞く度に、いちいち非常に驚いたという風に仰天すると、たしかにそれはぬっと前へ飛出して義眼のように光った。その様子だけはいかにも肝に銘じて驚いたという恰好だが、本心はどんなことにも驚いてはいない如く、眼先はあらぬ方をきょとんと眺めているのだ。多分彼は、真実の驚きという感情は経験したためしはないのではなかろうか。――頤骨がぎっくりと肘《ひじ》のように突き出て、色艶は塗物のような滑らかげな艶《つや》に富み、濃褐色であった。額が木魚のようなふくらみをもって張出し、耳は正面からでも指摘も能わぬほどピッタリと後頭部へ吸いつき、首の太さに比較して顔全体が小さく四角張って、どこでもがコンコンと堅い音を立てそうだった。また首の具合がいかにも亀の如くに、伸したり縮めたりする動作に適して長くぬらくらとして、喉の中央には深い横|皺《じわ》が幾筋も刻まれていた。え?え?え? と横顔を伸して来る時に、ふと真近に見ると眉毛も睫毛《まつげ》も生えていないようだった。
 無論彼らが村人に狙われるのは、さまざまな所業の不誠実さからだったが、私は他のあらゆる人々の姿を思い浮べても、彼らほどその身振風体までが、担がれるのに適当なものを見出せなかった。彼らの所業の善悪は二の次にして、ただ漫然と彼らに接しただけで、最早充分な反感と憎しみを覚えさせられるのは、何も私ひとりに限ったはなしではないのだ、などと頷《うなず》かれた。いつかの万豊のように、スッポンや法螺忠が担ぎ出されて、死物狂いで喚き立てる光景を眺めたら、どんなにおもしろいことだろう、親切ごかしや障子の穴の猿どもがぽんぽんと手玉にとられて宙に跳上《はねあが》るところを見たら、さぞかし胸のすくおもいがするだろう――私は、彼らの話題などには耳もかさず、ひたすらそんな馬鹿馬鹿しい空想に耽っているのみだった。
「……俺アもうちゃんとこの眼で、この耳で、繁や倉が俺たちの悪い噂を振りまいているところを見聞《みきき》しているんだ。」
「ほほう、それあまたほんとうのことかね。」
「奴らの尻おしが藪塚《やぶづか》の小貫林八だってことの種まであがっているんだぜ。」
「林八を担がせる手に出れば有無はないんだがな。」
 彼らは口を突出し、驚いたり
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