んなに大勢の候補者があると思えば、何も自分が必ずつかまるというわけでもなかろうし、そんな懸念はむしろ棄てるべきだ、おまけに多くの候補者のうちではおそらく自分などは罪の軽い部ではなかろうか――などと都合の好さそうな自惚《うぬぼ》れを持ったりした。
 出歩きを怕《こわ》がって、万豊などに使を頼むのは無駄だから、これから二人がかりでそれぞれの註文主へ納め、暫くぶりで倉の外で晩飯を摂《と》ろうではないかと御面師が促すのであった。
「ひと思いに、景気好く酒でも飲んだら案外元気がつくでしょうが。」
「……僕もそんな気がするよ。」と私は決心した。仕上げの済んだ面を、彼がそれぞれ紙につつんで、私に渡すに従って、私は筆を執って宛名《あてな》を誌《しる》した。
「ええ、赤鬼、青鬼――これは橋場の柳下杉十郎と松二郎。お次は狐が一つ、鳥居前の堀田忠吉。――いいですか、お次は天狗が大小、養魚場の宇佐見金蔵……」
 御面師は節をつけてそれぞれの宛名を私に告げるのであった。私は宛名を誌しながら、次々の註文主の顔を思い浮べ、あの四、五人が先ず最近の血祭りにあげられるという専らの噂だがと思った。
 何十日も倉の中に籠《こも》ったきりで、たまたま外気にあたってみると雲を踏んでいるような思いもしたが、さすがに胸の底には生返った泉を覚えた。――随分とみごとに面の数々がそちこちの家ごとに行渡ったもので、家々の前に差かかる度に振返って見ると、夕餉《ゆうげ》の食卓を囲んだ燈《あかり》の下で、面を弄《もてあそ》んでいる光景で続けさまに窺《うかが》われた。どこの家も長閑《のどか》な団欒《だんらん》の晩景で、晩酌に坐った親父《おやじ》が将軍の面をかむってみて家族の者を笑わせたり、一つの面を皆なで順々に手にとりあげて出来栄《できば》えを批評したり、子供が天狗の面をかむって威張ったりしている場面が見えた。そろいの着物なども出来あがり、壁には花笠や山車《だし》の花がかかって、祭りの近づいているけしきはどの家を眺めても露《あら》わであった。
「皆な面をもって喜んでいるね。万豊の栗拾いたちが、好《よ》くもあんなにそろって面を持出したとおもったが――飛んだ役に立てたものだな。」
「なにしろ玩具《おもちゃ》なんてものを不断|持扱《もちあつか》わないので、子供の騒ぎは大変だそうですよ。」
 うっかりと夜道を戻って来た酔払いなどが突然狐や赤鬼に嚇《おどか》されて肝《きも》を潰《つぶ》したり娘たちがひょっとこに追いかけられたりする騒ぎが頻繁《ひんぱん》に起ったりするので、当分の間は子供の夜遊びは厳禁しようと各戸で申合せたそうだった。

       三

「水流《つる》さんや、お前《め》えもよっぽど用心しねえと危《あぶ》ねえぞ。丸十の繁から俺は聴いたんだが、お前えは飛んだ依怙贔負《えこひいき》の仕事をしているってはなしじゃないか、家によって仕事の仕ぶりが違うってことだよ。」
 杉十郎は自分に渡された面をとって、裏側の節穴を気にした。
「俺ア別段どうとも思やしないんだが、人の口は煩《うるさ》いからな。」
 彼は一度村長を務めたこともあるそうだが、日常のどんな場合にでも自分の意見を直接相手につたえるというのではなくて、誰がお前のことをどういっていたぞという風にばかり吹聴して他人と他人との感情を害《そこな》わせた。そして、その間で自分だけが何か親切な人物であるという態度を示したがった。彼も例の黒表の一名だが、おそらくその原因は、その「親切ごかし」なる渾名《あだな》に依ったものに違いなかった。伜《せがれ》の松二郎がまた性質も容貌《ようぼう》も父に生写しで「障子の穴」という渾名であった。
 眼のかたちが障子の穴のように妙に小さく無造作で、爪の先で引掻いたようだからという説と障子の穴から覗《のぞ》くように他人の噂を拾い集めて吹聴するからだという説があったが、彼らに対する人々の反感は積年のもので、一度はどちらかが担がれるだろう、親と子と間違えそうだが、間違ったところで五分五分だといわれた。
「繁ひとりがいっているんじゃないよ、阿父《おとう》さん――」と松は何やらにやりと笑いを浮べながら父親へ耳打ちした。
「ふふん、酒倉の伊八や伝までも――だって俺たちは別にこの人たちをかばうわけでもないんだが、そんなに訊《き》いてみると……な、つい気の毒になって……」
「やめないか。僕らは何も人の噂を聞きに来たわけじゃないぞ。もし、この人の仕事について君たち自身が不満を覚えるというなら、そのままの意見は一応聴こうぜ。」
 私は二人の顔を等分に見詰めた。抗弁をしようとして御面師は一膝《ひとひざ》乗り出したのだが、自分もやはり担がれる部の補欠になっているのかと気づくと、舌が吊《つ》って言葉が出せぬらしかった。今更ここで抗弁したところ
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