四〇年版ヨハンガストなる一|神学者《クリスチヤン》の手記に、
「余がクラコウ大学に於て教鞭を執りし頃、クリンドリング生れの一不良学生に悩まされしが、彼は常々学業を疎かにして魔術にのみ現を抜かし、遂に放校の憂き目に遇ひしが、去るに望みて彼の言葉を残したるなり。後にこの言葉を友人フアウスタスに告げると、彼は、至言なり……と膝を打ち、翌朝も待たずに放浪の旅に出発せり。」
 などゝもあつた。
「メフイストフエレス――(メ)は、ラテン語の[#ここから横組み]“In”[#ここで横組み終わり]に相当するギリシヤ語にて、否定の義、(フイス)は同じく、光の義、(フエレス)は、愛の義――即ち、光りと愛を打ち消す者――悪魔の同意語なり。メフイストフエレスなる名称は、十六世紀後半に出版されたるヨハネス・スパイスなる伝奇作家の書中に初めて登用されたる者なり。」
 その頃私は、地図の上では世界各国足跡の至らざるところとてはない大旅行家であつたが、日々の生活と云へば、どんな類ひの地図にも省略されてゐる底の凡そ小さな山峡の部落で、町へ赴く乗合馬車の切符すらも容易には購ふことも出来ないやうな不自由な境涯で、まことに「箱
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