想とばかり戦つてゐる私は、今更のやうに身に力がなく、酔つ払ひのやうに脚がフラフラするのが情けなかつた。然し私は、杖を頼りに、葛籠を背負つた舌切雀の悪党爺のやうに表情を歪めて、よた/\と屋根裏の納屋へ向つて行つた。手探りで廊下を曲り曲つて、漸く梯子段のあたりに来ると、納屋の扉から灯火が洩れてゐるのが仰がれた。そして争ひの声が聞えた。
「飲んで置いて、飲まないとは好くも云へた図々しさだ。」
「俺の云ふことを盗むな。泥棒奴!」
「意地きたなしの盗み飲み野郎!」
「打つ気か!」
「打つとも――」
 RとZが徳利を間にして、鼻を突き合せ、眦を裂いてゐた。
(デーモンス・ネクタアだ。夢ではなかつたのだ――俺は、たしかに飲んだぞ。)
 私は、自分を夢遊病者と信ずるに至つた。眼に見えぬ悪魔の翼にはたきのめされさうだつた。
「酒の喧嘩なら止めて呉れ。音無の欲深爺から、巻きあげて来たばかしの酒手が、こんなにあるぞ。」
 私は重い財布を卓子の上に投げ出すと、二人の男は有無なくそれを攫みとるやいなや、窓を乗り越えて梯子づたひで飛び出さうとした。
「酒を買ひに行くのか?」
「仁王門の椽の下で、音無の手下と、張り合ふのだよ。」――「賭場荒しの不思議な吹雪男が俺達の後をつけねらつてゐるので、今では彼処の椽の下に穴を掘つて、金さへあれば毎晩のこと……」
「然し君達は、吹雪男の迷信を信じてゐるのか、そして一度でも、たしかに見たことがあるのかね?」
 私は葛籠を背負つたまゝ卓子に腰を降して、意味深気に訊ねた。
「御用のお手先だと思つてゐますよ。――えゝ、たしかに、見ました。大きな鉄の兜を被つた真黒な化物で、吹雪男のこしらへではありますが、あれは勿論、町から回された探偵の変装でせう。」
「音無の手下は、然し未だ余分の賭金を持つてゐるのかね?」
「奴等のことだから何時もイカサマ術を用ひて分捕つてはゐるんだが、吹雪男が現れてからといふものは皆なその化物にさらはれてしまつて素寒貧となり、音無の親爺をはじめ一族郎党は気狂ひ騒ぎでありますよ。今夜は親爺自らが愈々出張つて、乗るか反るかの大勝負を打つ手筈になつてゐるんですが、親爺は何でも資手《もとで》に詰つて八郎丸を苛めに行つたさうですが……」
 その云ふところを聞いて見ると、吹雪男の亡霊に苛まされて音無は癲癇に罹つてしまつたさうだが、主ばかしでなく手下の者も悉く神経衰弱となつた。今日も二人の手下が、この屋根で石ならべの仕事に従事してゐたところが、二人は突然「吹雪男」の幻に魅せられて、裏の川へ転落したのである。憐れな愚者は、そんな突差の場合でも、その身が軽く宙に飛んでしまひさうな危惧を忘れず、夫々重石を抱へたまゝ飛び込んだので、危く溺死しかゝつたところを自分達が救ひあげたのである。――。
「それ、そこに寝て居ります。未だ暫くは息を吹き返さないでせう。」
 さう云つて指差されたので私は、卓子の上の龕灯を執つてその方を照して見ると、二人の男が見るも浅間しい姿で、米俵にがつちりと獅噛みついたまゝ気絶してゐた。
「ひとごとぢやありません――私達だつて今にも吹雪の夢に襲はれて発狂するかも知れないのです。こんな時分から斯う続々と病人が現れるなんてことは、さすがの竜巻村でも十七年来この方のことだといふ噂ぢやありませんか。」
「凶災の前兆でせう。今年の冬は何んな怖ろしい風巻が起ることか……おゝ、不吉なことは考へまい。早く仁王門の椽の下へ走つて、大勝負を打つて、腰に金袋をつけてしまはないと、吹雪男の餌食にされて木つ葉みぢんになつてしまふであらう……」
 RとZは、西瓜のやうな顔をして窓を脱け出て行つた。
 二人の去つて行く後姿を窓から見送つてゐると、私の胸は再び轟々と鳴りはじめた。海の遠鳴りが、疾風と化して朧夜の空をかすめながら、稲妻を巻き起して、どツと地に堕ちたかと思ふと、見渡す野面一帯は黒煙を吐いて怒濤と狂ひ出した。森の樹々が一勢に雄叫びを挙げて、凄烈な竜巻を抑へた。――家屋が、宙に浮いて割れ鐘に似た胴震ひの悲鳴を放ちながら、目眩しい回転をはじめた。
「飛んでしまふぞ/\……屋根へあがれ、米俵を家根へ運び出せ……」
 音無が夢中で駈け込んで来たのであつた。彼は更に階段を駈け降り、何うして運んで来たものか、数々の私の書物を悲愴な感投詞をたゞ胸一杯に叫びながら、扉口を目がけて階段の下から霰と投げあげるのだ。
 蝙蝠の群がおし寄せたやうに数々の書物は、不気味な翼の音をたてゝ、米俵に噛りついてゐる私達の上にバラ/\と落ちた。
 その騒ぎで息を吹き返した二人の男は、
「やツ、親爺が来たぞ。」
「金を盗んだことが露見したぞ。」
 二人は切りに飛び交ふ夜鳥の群を払ひながら、天窓の綱を引くと、それに縋つていち早く屋上へ逃げのびた。理由は少しも判らぬが、私は
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