ツもりになんてなられて堪るかよ。」
 ……「清々と好いや!」と、彼は叫んだ。
「お酒は慎んだ方が好いよ。」と、お園と話してゐた母が振り返つて云つた。
「鬚があるのか?」と、彼は志村を指差した。志村は、たゞ笑つてゐた。
「東京も面白くないし、また此方にでも舞ひ戻らうかな、だが戻つたところで――か。旅行は一辺もしたことはなし、だから未だ好きだか嫌ひだか解らないし……」
 そろ/\危くなつて来たぞ、と彼は気付いて、ふらふらと立ちあがり、父の位牌の前に進んで、帰つてから、二度目の線香をあげた。

[#5字下げ]七[#「七」は中見出し]

 朔日《ついたち》と十五日と、毎月、夫々の日の朝には、彼の家では「蔭膳」と称する特別の膳部がひとつ、仰々しく床の間に向けて供へられた。そして、それが下げられてから、彼ひとりがその膳を前にして、しよんぼりと朝の食事を執らせられるのがその頃の定めであつた。――彼が、写真でしか見知らなかつた外国に居る父の「蔭膳」なのである。その冷たくなつた定り切つた貧しい料理を食ふのが、ひとつは妙に薄気味悪くて、往々彼は、厭だと云つて、祖父母や母に憤られた。
「頂くんだ。」
 祖父
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