」「いくら斯んなに蕪雑な生活をしてゐたつて、これ程の予猶もあるんだ。」――見得で、そのやうな意気を示し、これが意地悪るのつもりで、さつき起きてから彼女等に出し抜かれて応へやうもない鬱憤の代りに過ぎなかつたのである。
「何んなものであらうと自分のものには、夫々自分の息が通つてゐるんだからね、困るんだ、矢鱈にされては――。物品を、ぞんざいに取り扱ふ奴は、皆な碌でなしだ。」
 彼は、さう云つて周子の胸を衝いた。周子は、答へずに、
「遅くなるツてエば!」と、焦れた。
「先へ行つたら好いぢやないか。俺は、未だいろいろ用もあるんだ。」
 彼はそんなことを云ひながら、悠々と風呂敷をはらつて、学生時分に独りで、海辺の家で日毎吹奏したことのあるコルネツトを、久し振りに口にあてゝ、音は発せずに、仔細に具合を験べるやうな手つきをした。
「触つたらう? こゝのところが、どうも湿つてゐる。」
「触れと云つたつて、触りませんよ。そんなもの、馬鹿/\しい!」
「俺は、子供の時分から、何か知ら座右に独りだけで愛惜する物品がないと、寂しかつたんだ――、今でも、勿論さうなんだが――」
「この頃、何だか、酔はない時でも酔つ
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