ゥつた。――間もなく、伝来の屋敷あとの土地や、少しばかり残つてゐた蜜柑山の競売通知書も配達された。
「あゝ、これは親父の土産か!」
彼は、さう云つて苦笑を洩した。「ハヽヽヽ、面白くない話だなア。」
「うちのお父さんに頼みなさいよ、何とかなるわよ。」
「何とかすることは巧いだらうよ――ぢや、頼まうかね。」と、彼は、弱々しく呟いだ。
母からも手紙が来た。彼女は、未だそんなことは知らないらしかつた。そして、彼の著述の催促などをして寄した。秋になつたら、御身の新居を訪れ傍々、芝居見物の為に上京したいからその節はよろしく案内を頼む――そんな文面もあつた。
「秋になつたら――か!」と、彼は繰り返して、母の来遊の日を変に楽しく待ち遠しがつたりした。
また、当方を顧慮することなく、ひたすら勉学にいそしみ余暇あらば風流に心を向け給はれかし、とか、御身の為に蔭膳を供へ始めたり、尚また震後頓に涌水鈍りたる旧井戸を埋め、吉日を選び、新たにこの借地の泉水の傍に掘抜き井戸を造るべく井戸清に命じたれば、御身帰郷の節には前もつて通知あらば、新しき水に冷菓冷酒を貯へ置くべし――などと報じてあつた。[#地から1字上
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