鎧の挿話
牧野信一

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)妙《たへ》公

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ゴク/\とラツパ飲みをしながら、
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 五人力と称ばれてゐる無頼漢の大川九郎が今日はまた大酒を呑んで、店で暴れてゐる――と悲しさうな顔で居酒屋の娘が、私の家に逃げて来た夕暮時に、恰度私の家では土用干の品々を片附けてゐたところで、そして私は戯れに鎧を着、鉄の兜を被つて、ふざけてゐたところだつた。私は、喧嘩や力業には毛程の自信もなかつたが、
「怪しからん奴だ!」と呟いて、そのまゝ居酒屋へ赴いた。
「妙《たへ》公、出て来い、さあ、出て来い!」
 九郎が娘の名前を叫んでゐた。片肌脱ぎで片手に酒徳利を掴んでゴク/\とラツパ飲みをしながら、閻魔の形相であつた。皆な逃げてしまつて、太く物凄い九郎の喚声ばかりが陰々と響き渡つてゐた。私は薄暗い酒場へぬつと入つて行つたが、あたりがもう暗過ぎるためか、それとも酒のために九郎の眼は眩んでゐるのか、彼は私に気づかぬやうであつた。そして切りに怒鳴りつけては、盃などを天井に投げつけたりしてゐた。
「乱暴をするな。」と私はいつた。
「何だ手前は――何処から来た案山子野郎だい、蓑なんぞ着やがつて――擲りつけられぬうちに妙公を伴れて来い。」
「擲りたければ擲つて見ろ、大馬鹿野郎奴」と私も怒鳴り返した。
「ようし!」
 九郎は双肌《もろはだ》を脱いで立ちあがり、ペツと頑固な拳骨に息を吐きかけたかと思ふと、バツトを振るやうな身構へで、いきなりグワンと私の脳天に物凄い横擲りを喰はせた。それと同時に、
「キヤツ!」と叫んだのは九郎であつた。私は五六歩ヒヨロ/\とよろめいたが、たゞ風に吹かれた通りであつた。
「こいつ石頭だな。ようし、そんなら、これだ……」
 九郎はまだ私の装束に気づかず、傍《かたはら》の酒徳利をつかむと同時に、いきなり私の頭をポカリと叩いた。――音だけは聞えたが、私は徳利が頭に触れたのも感じなかつた。――それよりも私は、田甫をよ切つて相当の道程を駆けつけて来た後の甲冑の重味が身に応へてフラ/\として来たところで、また九郎が別の徳利を振り揚げたから少しでも居酒屋の被害を軽くしてやらうといふほどの心遣ひで彼の腕をおさへようとすると、手もとが狂つて鉄の手甲をつけた私の拳が厭つ
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