見返した。
 久保は、何うして好いか解らなくなつて帽子を握りつぶしながら、アハヤ逃げ出さうかといふほどの心構へを抱いた。
「お人違ひぢやございません?」
 美奈子は素気なく答へて歩き出しさうになつたので、久保はもう恥のために弥々《いよ/\》堪らなくなつて、
「失礼しました。飛んだ人違ひをしました。」
 と云ひ終るがいなや、後も振り向かず元の道を小走りに駈け戻つた。――何といふ軽卒な真似をしてしまつたことだらう、あゝ! 若しかすると、あの娘は此方を不良青年と間違へて(当然だ!)交番に電話を掛けるかも知れない――久保は、後悔と同時にそんなことを思ふと、怖れと恥のために脳貧血の発作でも起りさうな危惧を覚えた。そして、万一、そんな場合に立ち至つたら、何んな弁明をしたら好からうか? などゝ、とても小心に気を揉みながら夢中で駅まで引き返した。

     五

 久保が、そんな思ひで、堪らなく憂鬱になつて、首垂れながら駅の入口にさしかゝると、
「もし/\!」
 と呼び止められた。
 久保は、飛びあがるほど仰天した。――振り返つて見ると、さつきの娘が豊かな微笑を湛へて、
「今は、ほんとうに失礼しまし
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