すのであつた。そして、それとなく階段の方を注意してゐるのであつた。
雑誌に目を落してゐた久保が、不図顔をあげると、直ぐ眼の先に何時の間に現れたのかビロードの半オーバを着た、美奈子の後ろ姿が立つてゐた。
それと殆ど同時に中野行の電車が到着して、美奈子が乗り込んだので久保も慌てゝ後を追ふた。
三
電車の中では、美奈子は片隅の空席を得て腰を降すと傍目もふらずに、抱へてゐる楽譜を開くと、爪先で微かなタクトをとりながら切《しき》りにそれに目を配つてゐるのであつた。
久保は反対側の出入口の扉《ドア》にもたれて、胸をときめかせながら彼女の様子を見守つてゐた。
「それにしても、好く、あの画の人物が自分に似てゐるなどゝいふことを彼女は気づいたものだ。」
時々美奈子は顔をあげて、頭の中で楽譜を誦《そらん》じてゐるらしく、正面を向く時、久保は、はつきりとその容貌を見ながら、沁々と呟いだ。
「さう云はれて見れば、たしかにあの人物の容貌は美奈子であつた!」
画中の人物が裸婦であることなどに拘泥もしないで、あゝ云つて寄こした彼女を見ると、久保ははじめから美奈子をはつきりと対象にしてかゝつ
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