段の中程に一人の裸婦が、凝ツと正面を向いてたゝずむでゐる一見平凡な構図であるが、陰影を持たぬ久保の新手法が機械的構成美の上で目醒しい進境を示したものとして評判が高かつた。階段の突き当りに四角な窓があつて、其処からはビルヂングの尖頭が見えてゐる。
「何故だか、あの人物の容姿が、妾に似てゐるやうな気がしてなりません。あのやうな複雑な表象的画題に対して斯んな卑俗な考へを持つことに、何だか冒涜さへ感じますが、一度、そんな思ひに打たれてからといふもの、何うしても此の不遜な考へが妾の頭から離れません。」
 久保は、この一節を読んだ時に悩ましさうに髪の毛をつかんだ。久保は、怖れに戦かずには居られなかつた。何故なら未だ直接言葉もかけたこともない美奈子であるにもかゝはらず、いつの間にか、その映影が深く自分の胸の中に喰ひ込んで、そして、斯んな結果が生じたのだと彼は信じたから。

     二

 間もなく彼は外出着に換へて、街へ出ると、慌てゝタキシーに飛び乗つた。
「お茶の水まで――」
 と命じた。
 そして彼は腕時計を見直した。
 省線電車のお茶の水駅である。美奈子の家は壱岐坂の近くであつた。彼女は一週
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