うかも記憶がない。庭にぼんぼり[#「ぼんぼり」に傍点]がともされて静かに夜を更すのであるが、どんな催しがあつたかもまるで覚えてゐない。夜の記憶は、もつと前の年のことかも知れない。――その日の夕方、私はひとりで馬車に来つて帰つて来てしまつたやうな気もする。
 だが、海棠の花の下に四つ五つのぼんぼりが桃色に滲んで、大へんに美しく見えた記憶は残つてゐる。

          *

 翌年あたりからは、私の代りに、漸く歩き出したばかりの私の弟が、母につれられて行くやうになつたのであらう。
 私の朧気な記憶は、こゝでぴつたりと絶たれてゐる。
 どこでゞもとまる乗合馬車を、その家の門の前に止めて、いつも私たちは翌日の昼過ぎにそこを辞するのであつた。
 別れを惜んで海棠の家の人々は、皆門先に立つて私たちを必ず見送つたが、いつの時でも、なぜか娘の姿はそこに現れたことはなかつた。別段誰も怪しみもしなかつたが、私は、娘がひとりで何か遊びごとに熱中してゐるのだらうと思ひ、どんな遊びをしてゐるのだらうか? ――と考へた。
     ――――――――――
 何だか、ばかにわけあり気のやうな話しになつてしまひま
前へ 次へ
全15ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング