私は、あの娘の父を見たことがない。一度そのことを私は母にたづねたことがあるが、たしか母は言葉をにごしてはつきりした返答をしなかつたので、そのまゝにした。

          *

 庭には、赤毛布をしいた床几が出てゐた。
 母が、ありがたさうな手つきで娘の祖父から盃をいたゞいてゐた。――庭の床几には誰も掛けてはゐなかつた。
 狂人をいれたことのある座敷牢といふものがある家だ――といふことを私は、祖母だつたか母だつたかから聞いたことがあるが、私は遂々《とう/\》それは見そこなつた。
「もう少したつと、きつとお爺さんはあたしを呼びによこすよ。」
「叱られるの?」
「叱られたことなんて、あたし一遍もないわよ――舞ひをやらされるのよ。」
「舞ひツて? をどりかい?」
「つまらアあない、――をどりみたいなものだけれど。」
「厭だらう?」
「厭さ、もちろん!」
「ぢや、やらなければ好いのに。」
「厭には厭だけれど――そんなに嫌ひでもないんだ。」
「…………」
「面白くはないけれど、あれは私の心を静かにさせる――。あたしがね、つまらない……といふことは嫌ひとは違ふのよ。」
「…………」
「あたし
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