うかも記憶がない。庭にぼんぼり[#「ぼんぼり」に傍点]がともされて静かに夜を更すのであるが、どんな催しがあつたかもまるで覚えてゐない。夜の記憶は、もつと前の年のことかも知れない。――その日の夕方、私はひとりで馬車に来つて帰つて来てしまつたやうな気もする。
 だが、海棠の花の下に四つ五つのぼんぼりが桃色に滲んで、大へんに美しく見えた記憶は残つてゐる。

          *

 翌年あたりからは、私の代りに、漸く歩き出したばかりの私の弟が、母につれられて行くやうになつたのであらう。
 私の朧気な記憶は、こゝでぴつたりと絶たれてゐる。
 どこでゞもとまる乗合馬車を、その家の門の前に止めて、いつも私たちは翌日の昼過ぎにそこを辞するのであつた。
 別れを惜んで海棠の家の人々は、皆門先に立つて私たちを必ず見送つたが、いつの時でも、なぜか娘の姿はそこに現れたことはなかつた。別段誰も怪しみもしなかつたが、私は、娘がひとりで何か遊びごとに熱中してゐるのだらうと思ひ、どんな遊びをしてゐるのだらうか? ――と考へた。
     ――――――――――
 何だか、ばかにわけあり気のやうな話しになつてしまひましたが、これは、これ以上に何の意味もありません。われわれが、子供らしい遠回しな恋でも囁き合つたのではないか、とでも誤解されると、どうでも好いことですが、私としては、折角話したこの話の甲斐もなくなつてしまふのです。どこにも私たちは、そのやうな片鱗さへも感じてはゐなかつたといふことは、言葉を改めて断つておきたいのです。少年の淡い恋を語る位ならば、私は決してこんな話はしません。

          *

 地震であの家は、バラバラに潰れた。
 娘の祖父は、大分前になくなり、その母もなくなり、何でも娘は地震の四五年前から精神が怪しくなつてゐたが、世間には知れずにひとりであの家にずつと住んでゐたさうであるが、住家がなくなると同時に、気違ひであつたといふことが村中に初めて知れ渡つた。中には、地震でそんな風になつたのだと噂してゐる人もある。娘は、今はひとりで小屋みたいな家に住んでゐる。私の母は一ト月に一度位ゐづゝ見舞つている。私も行きたく思ふのであるが、どうかすると今の私は、あのお妙《たへ》さんに新しく、怪しく胸が戦く不気味な危惧を覚ゆるので、辛うじて秘かに控へてゐるのである。
 今ではあの村の直ぐ手前まで電車が通じてゐるので、行かうと思へばこれから出かけても日が暮れぬうちに行き着けるだらう。



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「日本小説集 第三集」新潮社
   1927(昭和2)年5月12日発行
初出:「サンデー毎日 第五巻第二十六号」大阪毎日新聞社
   1926(大正15)年6月13日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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