に冷たかつた。
 田舎からの湯治客らしい二人の老爺《としより》が、晴々しく、物珍らし気な微笑をたゝへて、そこから出て来た。彼等は、景色について愉快さうに話しあうてゐた。
 そして私達の傍に来て、腰を降した。
 若者が、悸《おび》えた虫のやうに息づいてゐるにも関はらず、彼等は飽くまでも明るく、享楽に充ちてゐた。
 二人の老爺が、如何な話を取り交してゐたか、今私の記憶には何も残つてゐないのだが、勿論彼等は、暫らく振りの天気を有り難がりながら、こゝの絶景に就いて愉快な嘆賞の声を取り交してゐた。彼等の会話を覚えてゐて、今私がこゝに挿入することが出来ると、この蕪雑な私の文章にも多少のうるみが生じ、そして叙景の拙い私の筆の代りになるのだが、忘れてしまつたのだから仕方がない。――たゞ私は、田舎言葉のまゝで無造作に放つた老爺の明るい、一つの声が、今でも耳に残つてゐる。一人が、達磨の頭を見あげて、
「アノ、素《す》てッぺんから、転ばり落ッこッタラ、如何ヅラァなァ!」と、頓興な早口で叫んだ。それに惹かれて相手の者も、無造作に眼を挙げ、
「粉になッちまふヅラァ! ハッハッハ。」と、景気好く笑つたのである。

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