いたり、途切れたり、次の文句を考へるために中途で何時までも凝ツと眼を瞑つて首をひねつたり、漸く言葉をつかまへて発音にとりかゝると、はたし合ひの場合に於ける騎士の声が臆病者の悲鳴のやうにうわずつた震へ声が出て、思はず自分で吃驚《びつく》りして、改めて重々しく唸り直したりする程のしどろもどろの態たらくに接して、見物人は、ハツハツハ! まるで、仁王門の甚太郎さんのやうだ! と囁き合つて、噴き出したといふことであつた。――仁王門の甚太郎といふのは、大変に熱心なアマチユアの義太夫フアンであつて、彼が一たびその練習に取りかゝつたとなると、自分自身が友と打ち伴れて田甫道を歩いてゐることも、また野良に出て畑を耕してゐることも何も彼も打ち忘れて、物凄い表情と身振りに酔ひ、日の暮れるのも知らぬといふほどの云はば、最も忠実なるテテツクスの下僕の一員であつた。鎮守の森の入口にある仁王門の傍らに彼の住居があるために、姓の代りに仁王門の――と称び慣らされてゐたが、あまり深く義太夫に凝り過ぎた彼の形相は、普段でも、大きく丸く凝つと眺めてゐるものゝその眼に写る物象は、この世のものではなしに、遠く無何有の花やかな影であり、だから彼は飛んでもない時に突然物凄い怒り顔をしたり、カツと口を四角に開いたりする、そして、そのまゝの顔つきで、ぼんやり畑の中に立ち尽してゐたりする事が屡々だつたので、あれは仁王門の傍らに先祖代々住み慣れたもので仁王の真似がしたくなり、仁王のやうな眼つきになつたのか? お目出たい! といふべきか、お気の毒といふべきか! などゝ、はぢめは村の者達に何となく有難がられるかの如き因果の眼で尊重されてゐたが、漸く、近頃になつてたゞの義太夫フアンであつたといふことが解り、村人の眼は憐れみと軽侮に変つてゐるかのやうであつた。その上、そんなに熱心であるにも係はらず彼の芸の拙さと云つたらおそらく稀大なもので、万一彼が批露会でも開いて招かれでもしたら何うしよう――などゝいふ噂さへあつた。何故なら彼は、豊かではなかつたが同情心に富んでゐて、遊蕩児にも貧困者にも一様に人気があつたが、たゞ一つ困つたことには、自分のこんな芸のことだけに就いては、非常に神経質で、若し招待を辞退でもしたら、おそらく不気嫌の色を露骨に現し、敵意さへ抱き兼ねぬ性質があつたからである。)
 私の声色を聞いて村人達は思はず笑ひ声を挙げたが、次の悲壮な場面に接して、水を打つたやうに寂とした。
 二人の闘剣者は、私の声に気づくとにわかに心持にたるみが生じたかのやうに、そして亢奮の絶頂から脚を踏み滑らせて、転落する滝のやうに激情の花弁を飛び散らせて、諸共にワツと泣き出すと同時に、手にした剣を投げ棄て、私の胸に飛びかゝつた。
「村から村へ駈け廻らう――KATA−KOMAS の剣を捨てゝ……」
「飲んで騒いで――アウエルバツハで夜を明さう、KOMAZEIN……」
 この二人のうめき声に接すると私も、にわかに胸が一杯になり、楯を大きな翼にして二人の者をしつかりと抱き寄せて、
「飲んで騒いで、飲み明して――明方を待つ間もなく俺達はこの村を出発してしまはうではないか。おゝ、よし/\、俺が悪いのだ、何も彼も俺が悪いのだ、勘忍してくれ/\!」
 と咽び入つてしまつた。――この楯の表面には「コモイダスの心を知る者あらば共に飲まん、共々に打ち伴れて吾等の旅を続けん。」といふ意味のギリシヤ文字が誌してあつた。この楯は、つい先頃村の酒場で、バツカスの灌奠祭を行ふた時の余興の仮装舞踏会に、私達三人はスパルタの兵士に身をやつして出場したのであつたが、紋章の代りに私が花文字をもつて書き誌したボール紙の楯であつた。
「何でえ、人騒がせをしやがつて、そんなことでお終ひか、戯談《じようだん》ぢやない。」
「あの不良青年共は、あんな騒ぎをして俺達の眼をごまかして、逐電でもしてしまはうといふ魂胆だつたのかも知れないぞ。」
「今夜は何処の家でも、厩の扉には番犬を繋ぎ、其処の河舟には鎖を繋いだ上で、眠ると仕様ぜ。」
「あの楯に誌してある文句は、何でも、俺達と一処に飲まう、飲んで騒いでゐるうちにはやがて歌も歌へるやうになるだらう――とかといふ意味ださうだが、あいつ等は何時まで経つても歌一つ歌へさうもないのにヤケツ腹になつて、倒々同志打ちが始まつてしまつたさうなんだつてさ……」
「同志打ちなら同志打ちで、何とか綺麗な景色を見せて呉れるかと思つて来て見れば……」
 村人は口々に斯んな憎態な棄科白を残して、立ち去つて行くのであつたが私達は、返答の一つの言葉も忘れて一つの楯の下に気を失つたまゝであつた。
 それから暫く経つて私は、居酒屋の娘と妻に両方から腕を執られて立ちあがつた。そして娘と妻の両端には剣を杖に擬した二人の学生が辛うじて支へられてゐた。
 
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