弁明の言葉など見つかる筈はなかつたのですが……。が、私も男だ、こんなこと位ひで震へてしまつて何うなることだ、この恥は忍び得ぬ――と力を込めて、神を念じ、二つの主張の一方に明白な裁断を降《くだ》さうと、眼をつむりましたが、以何にしても「村から村へ」が事実か? 「飲んで騒いで」が正統なのか? 決して判断がつかないのであります。――そして私は、せめて、この醜い頤ばたきをごまかしたいと思ひながら、日頃、生真面目なことを云はなければならないときとなると稍ともすれば口に吃音の生じる癖のあることは皆に知られてゐるから――さうだ! といふ程の逃げ腰で、
「僕にも水を一杯呉れ、ルルさん!」
と云はうとすると、それが、真の吃音になつて、容易に、それすら云ひ終ることが出来ません。
「水? 水! 水――」
「知りませんよ。あなたのやうな大嘘つきの意久地なしなんて――に、水一杯の御用でも御免蒙るわ。」
「妻はゐないか? 妻、妻、水を……」
「あなたは、昨べ、あたしとランプの話をした時のことを寝言に喋舌つて、それを奥さんが聞いて、大変|憤《おこ》つてゐたわよ、お気の毒だわね。今夜帰つたら何んな酷い目に遇せてやらう――とさつき奥さんは、拳固を固めて、そして水車小屋へ遊びに行つてしまつたわよ。」
その傍から、また村長が、決闘の仲裁を私に詰ります。――私は何も彼も解らなくなつてしまひ、
「それぢや一体俺は誰と決闘したら好いんだい、ワーツ!」と叫んで、酒注台に薔薇のさゝつてゐたジヨツキをとりあげ、花を投げ棄てゝ、その水をあふりました。
*
斯のやうに私は、その生活を歌のために踏みにぢられ、悲惨な目に遇ひながらも飽かずに往古の哀歌詩人《エレヂスト》の上を想ひ、羨んでゐたところが、近く私は、村長の頼みに依つて、登場歌《パロドス》――合唱歌《スタシモン》――哀悼歌《コモス》――の三部より成る酒神頌歌を創ることになつたのであります。
で私は、その構想に寧日なき有様です。この歌が出来たあかつきには、この居酒屋の常連は毎夜これを歌ひ、大方の論争も悲劇も喜劇もなくなるであらう――といふ村長の心遣ひから出たのです。私は、私の歌があの酒場で皆々に歌はれる時が来たら何んなに悦しいことだらう――と思ふと総身に不思議な胴震ひを覚へ、愉しさのあまり烈しい頤ばたきさへ起るのであります。
それで、この頃では何んなに私が、ぼんやりと、ランプを眺めようとも、論争に口出しをしなからうと、昨日の約束を忘れて白い顔をしてゐようとも、どんな寝言を吐かうとも、誰も抗議を出す者もなく、皆々はそつと私の思案顔をそのまゝにして、歌の出来る日を待つてゐる――といふことになつてゐるのです。
私は、今此処に誌した程度の話を――三脚韻律をもつた十五行の登場歌に縮めて、歌ひ現さうと努めてゐます。
「アウエルバツハの歌」と題する私の処女作歌を発表することが出来れば幸福です。[#地から1字上げ]以上。
私達が勝手に名づけた村の居酒屋アウエルバツハの酒樽に凭つて誌す[#地から1字上げ]一九三〇年四月九日
が、未だ一聯の歌も私の頭に浮んで来なかつたのである。そのうちに様々な生活上の事態は水車の勢ひをもつて悪化に向つて回転し、就中 KOMOIDOS 論の二人の学生は激情に激情を加へた上句、遂に斯んな騒ぎを巻き起して、平和な村の、黄昏時の夢を破るに至つたのである。
四
やア/\、俺は何れの説に対しても断然たる否定の楯を振り翳して立ち現れたテテツクスの近衛兵だ、馬鹿、その眼を向けて俺のコモイダスの楯に注げ! Rの剣が折れるか、Hの KOMAZEIN が俺の剣に巻き落しを喰らはせて空中高くはね飛せるものか――。
「さあ来い/\、二人の気の毒な闘剣者《グラジエーター》よ、相手は此方だ。俺のコモイダスの剣の先が、何とまあヒラ/\と、月の光りを飛び散らして、河面《かはせ》に踊る初夏の鮎のやうに、または森蔭に飛び交ふ狐火のやうに、間抜けな/\、お前達をモツケ(闘剣術に使はるゝ、「嘲り」の型也)してゐるのが解らないか。」
と、私は、決闘場に馬車が到着するやいなや、二人の闘剣者を左右に割つて、大声を挙げて叱咤した。
すると私は、四囲の参観者が急にゲラゲラと腹を抱へて笑ひ出したのに気附いた。(これは後になつて説明されて解つたのであるが、私はそれだけの文句を口走るのに、恰も物覚えの悪い役者が、夢中になつて己れの科白を思ひ出さうと努めながら、うろたへてゞもゐるかのやうに、口ごもり/\、眼ばかり白黒させてゐる姿が、まことに悲惨であり、また漸く口にのぼせた文句だけはあのやうに一《い》つ端《ぱし》偉さうな美辞麗句に富んでゐる見たいであるが、それを吐き出す様子の切な気に見ゆると云つたらない! 躓
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング