この頃では何んなに私が、ぼんやりと、ランプを眺めようとも、論争に口出しをしなからうと、昨日の約束を忘れて白い顔をしてゐようとも、どんな寝言を吐かうとも、誰も抗議を出す者もなく、皆々はそつと私の思案顔をそのまゝにして、歌の出来る日を待つてゐる――といふことになつてゐるのです。
私は、今此処に誌した程度の話を――三脚韻律をもつた十五行の登場歌に縮めて、歌ひ現さうと努めてゐます。
「アウエルバツハの歌」と題する私の処女作歌を発表することが出来れば幸福です。[#地から1字上げ]以上。
私達が勝手に名づけた村の居酒屋アウエルバツハの酒樽に凭つて誌す[#地から1字上げ]一九三〇年四月九日
が、未だ一聯の歌も私の頭に浮んで来なかつたのである。そのうちに様々な生活上の事態は水車の勢ひをもつて悪化に向つて回転し、就中 KOMOIDOS 論の二人の学生は激情に激情を加へた上句、遂に斯んな騒ぎを巻き起して、平和な村の、黄昏時の夢を破るに至つたのである。
四
やア/\、俺は何れの説に対しても断然たる否定の楯を振り翳して立ち現れたテテツクスの近衛兵だ、馬鹿、その眼を向けて俺のコモイダスの楯に注げ! Rの剣が折れるか、Hの KOMAZEIN が俺の剣に巻き落しを喰らはせて空中高くはね飛せるものか――。
「さあ来い/\、二人の気の毒な闘剣者《グラジエーター》よ、相手は此方だ。俺のコモイダスの剣の先が、何とまあヒラ/\と、月の光りを飛び散らして、河面《かはせ》に踊る初夏の鮎のやうに、または森蔭に飛び交ふ狐火のやうに、間抜けな/\、お前達をモツケ(闘剣術に使はるゝ、「嘲り」の型也)してゐるのが解らないか。」
と、私は、決闘場に馬車が到着するやいなや、二人の闘剣者を左右に割つて、大声を挙げて叱咤した。
すると私は、四囲の参観者が急にゲラゲラと腹を抱へて笑ひ出したのに気附いた。(これは後になつて説明されて解つたのであるが、私はそれだけの文句を口走るのに、恰も物覚えの悪い役者が、夢中になつて己れの科白を思ひ出さうと努めながら、うろたへてゞもゐるかのやうに、口ごもり/\、眼ばかり白黒させてゐる姿が、まことに悲惨であり、また漸く口にのぼせた文句だけはあのやうに一《い》つ端《ぱし》偉さうな美辞麗句に富んでゐる見たいであるが、それを吐き出す様子の切な気に見ゆると云つたらない! 躓
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