HとRは私と共に住んでゐる大学生であるが、常々思想上の差異から反目してゐる仲だつた。反目者が共和生活を保つてゐるといふのは不思議であるが、二人の間に介在する私が何方《どちら》の思想にも点頭くといふやうなお調子者であつたから、私さへ居れば三角的の平和が辛うじて保たれてゐるのであつた。たゞ稍ともすれば、一方の者から其処に居ない方の者に就いての攻撃論を聴かされるのが幾分私は苦手であつたが(私は、そんな場合に思はず相手の云ふなりになつて、興奮をさせられてしまふのが癖だつた。)私は、種別の如何を問はず「人の情熱」を尊重する質であり、稀に見る一途の情熱に恵まれてゐる彼等を同程度に烈しく敬つてゐたし、また、二人は私の小屋に起居しなければ野宿をしなければならぬ立場にある最も貧しい芸術家であつた。私は、彼等に就いては、その思想と情熱とそしてその顔かたち以外に関しては、何んな経歴も知らなかつた。面倒だから、たゞ大学生と称んでゐたが、実際では何処の大学の卒業生であるか、または在籍者であるかも知らなかつた。そればかりでなくHは鉄砲にRは釣に得意であつたから、今では若し彼等が出奔したならば反つて私の方がたぢろぐかも知れなかつたのである。魚と鳥が私達の主食物であつた。
 私は片方に妻を抱き、野菜馬車の手綱をとつた。報告者は、ドリアンに乗つた水車小屋の大将であつた。
「それツ、速く/\!」
 と、せきたてる大将に引かれた私は吾を忘れて、馬の頭上にヒユウ/\と鞭を鳴した。馬車は鉄輪《かなわ》であつたから凄まぢい地響きを挙げてまつしぐらに狂奔した。
「しつかりとつかまつておいでよ、振り飛ばされないやうに……」
 おそらく、阿修羅の形想であつたに違ひない私は死物狂ひで叫んだ――「あの平和とこの混乱! だが妻よ、円舞曲の幻の後に続く狂騒章だ――と想像して、楽の音の嵐だけを聴いておいでよ。決して恐れのために身を震はせてはいけないよ。」
 と私は震へ声を振りしぼり、戦車のやうなスピードを出した。もう街道には一人の人の姿もなく、行手は白く、月の光りで明るかつた。

          *

 その決闘の原因を叙述する代りに次の一文を挿入する。

          *

     (アウエルバツハの歌)

 私は日頃小説の創作に専念この身を委ねて居る者でございますが、歌をつくつた経験はありません。経験はありま
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