したので手の甲を見ると蚊がとまつてゐた。私は、下唇を噛んで徐ろに片方の手の平をひろげて打ち降さうとした時、ふと、静かに、だんだん腹のふくれて行くところを見てゐたい気がして、その儘凝つと、専念に蚊のいとなみを視詰めた。」――。
 まだ/\長いのです、彼が青年になつてからのことまで書いてあります。Aは、その後間もなくこれを改作して何かの雑誌に出したと云つたことがありましたが私はそれは見ません。私は、つまらなくも面白くもありませんでしたが、そんな記憶はないが、若しや玄吉といふのが私の片影ではないかといふ気がしたのでAに訊ねたら、あれは空想の人物だと答へたのでホツとしました。うん……と答へたら私は、絶交するつもりでした。
 オギクボ、西オギクボなどといふ小駅を通過して私達は、大きな沼のあるイノカシラといふ処まで半ば駆歩で到達しました。少しベンチに休まうと私が云ひましたがAは、拒んで切りに喋舌り続けながらも、首を振つたり、腕の体操をしたりして、少しも体を休ませません。私は水の上の鵞鳥を眺めながら歩きました。Aは、斯うしてゐないと危いと云つて、主に空に眼を放つてゐます。
「眠気を辛へてゐるといふこ
前へ 次へ
全34ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング