、春ちやんが真ツ先きに駆け出した。それに続いて、
「これから、いよいよ真剣勝負の大合戦になりまあす。」と三平が立て続けに述べたてゝゐるにも係はらず大方の見物人は散り散りに逃げ去つて耳も借さなかつた。
「お春を捕へろ! 帰つた奴は酷い目に合はすぞ!」さう云つて三平が一目散に追ひかけると役者達もワツと云つて続いた。
「新公の奴はお春に惚れてゐるもんで来ねえのかあ!」
 遠くで敵意を含んだ三平の声がした。私は、ドキリとした。悪いことは直ぐに感じられるのか――そんな気がした。」――。
「私は、あたりをはゞかつた。幸ひ誰もゐなかつた。それでも自分は、とても明るい場所では泣けない気がした。こんな子供のくせにして俺は、女に惚れたのかしら? と思ふと私は怖ろしかつた。莚の上に独りしよんぼりと残された自分は、眼眦の熱くなるのに敵はなかつた。」――。
「ふと自分は足下に落ちてゐる面を拾ひあげた。私は、慌てゝそれを顔におしあてた。痛いほどおしつけた。――そして、泣いても好いと思つたら私は、急に馬鹿/\しくなつて、面を棄てゝしまつた。
 自分は、莚の上にどつかりと膝を組んで、たゞぼんやりしてゐた。――チクリと
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