とりと調子を合せて、その儘彼女の言葉をいくらか煽動気味に運ばせて行くと屹度終には彼女は、以下の言葉のうちの何れか一つを毒々しく嘲笑的に口走るのであつた。
「阿父さんは、あんたの阿母さんをそんなに好いてはゐなかつたのね。」
「何時か酔つてゐる時にあたしに云つたわよ――厭だから行つてしまつたんだつて!」
「あんたが生れた時、阿父さんは内心ガツカリしたかも知れないわね、ホヽヽヽヽ。阿父さんは二十二三だつたのよ。」
「余ツ程でなければ、生れたばかしの子供を残して出られないわ!」
 私には、そんなに雑駁な眼で一人好がりに父の立場を認められなかつた。私は、寧ろ雑駁に反対のことを思へば思ふのであつた。――だが、どちらにしても、そんなことを云はせてしまつてから私は、急に冷かさを失つて暗鬱な気に打たれるのであつた。……(自分は不自然な愛の間から生れた子に違ひない、???? それで俺は斯んなに馬鹿なのかしら! それで俺は、性質が妙に弱いやうな、狡いやうな、そして男らしい一本気に欠けてゐる、辛棒性がない、そのくせ悪く小細工をするやうな根性をもつてゐる。且つ何事にも飽ツぽい!)
 その上自分は、もつと自分は厭世的になつても好い筈なのに! などといふ気がして、始終うかうかしてゐる心を嗤つても、少しも悩みなどには出遇はなかつた。
(だが? 実際は、どちらの冷淡が、父を独り去らしめたのかな?)
 自分は、偉い疑問でも考へるやうに、そんな思ひに耽ることもあつた。そして自分は、自分もあまり好きでもなかつた眼の前の女の顔を、それとなく打ち眺めることがあつた。と、自分は、馬鹿な寒さを身うちに覚えた。
(俺は、独りで一ト月の旅行をするのも怖ろしい……吾々の長男はもう五才になつてゐる。――俺は、独りの旅をしたいといふ慾望が近頃非常に強いのだ。)
 一体自分には恋らしい経験はない、妻の前の或る女のことなどを思ひ出しても、一概に嫌な惧れを感じた、あれが続いたら何んなに幸福だつたらう! などといふ思ひ出は一つもなかつた。
「ともかく二十代なのね……」まだ妻は、意地悪るを続けてゐる。
「さうかしら――」
 ……だから自分は、今では先に自分のあのやうな痴想に惧れを抱いて、彼女に最後の言葉を放たせないやうに努めた。
「二人もあつたんだつて、子供が。だけどN――ひとりしか育たなかつたんだつて。一人で未だしも救かつたなんて阿父さんは云つたことがあるわよ。」
「…………」
 今日は終ひに何んな言葉を用ひるかしら? さう思ふと自分は、彼女の賤しい微笑に誘惑を感じたが――が、堪えた。この堪えるといふことは、不気嫌な気色を示すのに依るより他はない、自分はもうこんなことで彼女と野蛮な口論に達するのにも飽きてゐた――妙なことになつたと思ひながら、妙に不気嫌な気色を示して彼女の言葉をさへぎつた。――でも自分は、矢つ張り思ひたくない妄想に走らせられた。自分の弱い性質を、あの途方もない、汚らはしい想ひに結びつけた。
 私は、首を振つて、好い加減に口笛を吹きながら、合間に、世才に通ずる楽天家らしい口吻で云つた。――「……勿論、もう独身《ひとり》ぢやないと思ふよ。此方にこそ知らせてはないが。」
「ヘンリーが死んでからは満足にお金が送れなくなつたのが間が悪くはない?」
「だからさ――。俺は、N――が屹度結婚してゐるだらうと思ふよ。……案外、大変に惨めな境遇に陥つてゐるかも知れないぞ。」
 私が、嘗て父に向つて、十いくつかになつて初めて父を見て以来、何だか妙で、倒頭、阿父さん! とは呼び掛けたことがないやうな不思議な父と子を見て来た妻は、どうかすると今でも自分が彼女の前などで父を口にする場合などには却つて他易くなつてゐる父の洋名を、こんな場合に彼女が真似て用ひると何だか自分は酷く厭な気がしてならなかつた。――だが、あの計画をたてゝ以来は彼女が、大変に安価な浮れ口調を用ひても自分は、これまでのやうに妙に気六ヶ敷気な顰め顔もしないで、却つて軽々と雷同することの方が多かつた。彼女は、急に洋服などを着はじめて英会話の練習に通つたりしてゐた。自分にも彼女と等しくその必要はあつたのだが私は、一寸と改まるとなると普段の会話でも、行儀正しく向ひ合つては酷く駄目な質で話の出来ないことには慣れてゐたから、そんな練習はいらないと思つた。尤も練習したならば寧ろあの方が無神経に話せるだらうといふ気もしたが、そんな妹や、不思議な継母に会ふのには話などは流暢でない方が自分にとつては都合が好い気がした。それに、おそらく未だ日本語を忘れてゐないだらうF――がゐるから差支へない、彼女とは私は、自国のどんな婦人と話す場合よりも無神経に、此方も故意に稚々と運ばなければならなかつた吾らの言葉での何年かの交際に慣れてゐたから。
「吾家も、これで仲々芝居
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