、
「私は、そんな性質は知らない。」と、冷たく云つた。
「F!」と、尚も私の父は厭味な微笑を漂はせながら云つた。「彼に作法を教へてやつて呉れないか? だんだんに――」
チェッ! ――と私は、ふてくさつた舌打ちを、胸の中に感じた。
「おお、さう。」と、Fは無頓著に点頭いて、そして直ぐに私の方を向いて、
「……You……dear……お前の町の美しい海岸を案内して呉れないか……私は日本語を研究してゐる……見物に興味を持つてゐる……青年と交際して……この街に著いた最初の印象は……」
……は、私に聞き取れなかつた部分である。私が、黙つてゐるのでFは父の方を振り向いて、
「彼は、英語は話せないのか。」と訊ねた。
「Practical は不得意らしい。」と父は答へた。弁護したんだな、Practical も Academical も不得意なんだぜ――と私はそつと呟いて、気おくれを感じた。
「おお、さう。この先私と交際して行つたら、彼の勉強にもなるだらう。」
「非常に、非常に――彼は、学校を卒業したらお前の国を訪問したい希望を持つてゐるさうだ。」
私は、一層迷惑を感じて、更に苦い顔をした。父は、一寸私の堅い存在に疾しさを感じたらしく、素早く、
「何とか云へよ。」と囁いた。
私は、眼と首を横に振つた。
父は、軽く舌を打つて――直ぐに、また愛嬌好くFに話しかけた。――私は、うつかり素晴しく大きな欠伸をしたのである。
「お前エは、もう帰えれよ。」と、更に父は、私に囁いた。私は、ホッとして立ちあがつた。父とFは、何か私に解らないことを喋つてゐたが、うしろを向いて立ち去らうとした私の熱い耳にふつと父の一言が入つた。
「彼は、Foolish なんだよ。そして時々病ひの発作が来るんだよ。」
「おお、さう、Foolish!」
Fの言葉は、科学者のやうに冷く澄んでゐた。そして、動くところなくはつきりと断定してゐた。
(Foolish といふ言葉に、軽蔑や嘲笑の意味が含まれてゐないんだな――こいつア、却つてどうも堪らないぞ! 患者にされてしまつたわけだな。……Foolish boy! A Foolish boy!……)
私は、そんなことを呟きながら石のやうに愚かしく重い体を、重苦しく運んで帰つて来た。私は、祖母と母の前で父を罵倒した。
「好く帰つて来た。阿父さんのやうなお調子者の真似はするな。」
七十歳の祖母は、そんなことを云つた後に仏壇に向つて、
「ナム・アミダブツ。御先祖様、何卒純一の身をお守り下さい。」と、祈つて仰々しく礼拝した。母方の祖母である。私は、F達の前で自分が因循であつたことに秘かに冷汗を覚えながら、却つて自分を潔癖者の如く吹聴して、父を罵り、祖母達の歓心を買つたのだ。――一年ばかりの間に、Fは非常に日本語が巧みになつてゐた。そして私とも交際出来るやうになつた。
「海のシイズンになつたら、お前は私の家族と一緒にK――へ行く約束だつたね。」
「ああ。」と、私は困つた返事をした。この間そんな話が出た時、私はFと行く海水浴場の花やかさに浮かされて、俺は水泳なら相当のチャンピオンだ……などと、出たら目な高言を吐いたのである。
「お前と二人だけぢや寂しいんだが、お前の友達のミス・テルコは私達と一緒に行つては呉れないだらうか?」
「行かないだらう、第一彼女の性質は因循で面白くないよ。」
私は、照子のことを蔭で、あらぬ悪態をついてやることが面白かつた。
「インジュンとは、どういふ意味なの?」
「つまり、Fと正反対の性質なんだ。そして馬鹿馬鹿しいカントリー・ガールだ。」
この間照子の前で、Fの悪評を試みたと同じやうに、あの生意気な照子のことを今日はさんざんにこきおろしてやらう――などと私は思つた。
「だつてお前は、この間友達の中で最も好きなのはミス・テルコだつて云つてゐたよ。」
「うむ――。ただテルコは僕に対して非常に柔順だから、僕はつまりペチイに思ふだけさ、愛し方だつて色々な種類があるだらうぢやないか。」
「妾のことを、妾のBがさう云つたことがある。」
Fは、軽く笑つて慎ましやかに眼を伏せた。私は、陰鬱な嫉妬を覚えた。Bといふのは、横浜に居るFと同国生れの青年で、常々親しく往来してゐるといふことを、私は屡々Fから聞されてゐた。
「B君と同伴すれば好いぢやないか。」
「Bは、オフィスの仕事を持つてゐるから日曜日だけしか遊べない。」と云つたFの眼は、私の思ひなしか、悲しさうに見えた。
庭の木々は、輝いた陽を一葉一葉の新緑に受けて、水に映つた影のやうに光つてゐた。私は、静かな庭に眼を放つてゐた。真向きにFを感ずるのが苦しかつたからである。庭木の合間からは、裏の小さな野菜畑が見えた。畑の隅の物干場には、Fの靴下が長い一本の細引に沢山掛けてあつた。
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