actical English の個人教授に通つたといふことを自慢して、言葉の合間などには、往々私に解らない英単語を交へるやうな女だつた。私は、或る私立大学の英文科に籍を置いてゐたが、英語の小説すら原書では読めなかつた。
「だが――」と私は、一寸胸を衝かれて、
「いざ実際となると中々六ヶ敷いからな。」
 などと変に不平気に呟いた。Fが日本語が喋れなければ、私と交際出来る筈はなかつた。彼女は、五六年も日本に滞在してゐたから、日本会話は相当巧みなのだつた。私とFとの会話は、和語が主だつた。
「だつて好いわよ。」と、照子も不平さうに呟いた。
「だが――」と、私は更に語尾を濁らせて、相手に聞えぬ程度の小言を何か口のうちでブツブツ呟いてゐた。
 単に、かかる卑しい心の遊戯は別として、彼女達を紹介すると、私が如何に惨めな法螺ふきであつたか! といふ事実が彼女達に知れてしまはなければならなかつた。私は、Fの前では、照子といふ女が、自分の[#横組み]“Sweet Heart”[#横組み終わり]だといふ風に仄めかしてあつたのだ。そして照子には、Fのことを実際の親しさ以上に吹聴してゐるのだ。
「Fはね……」と私は云つた。「一寸僕に……気に喰はないところがあつてね……」
「何いつてんのさ。そんなことは如何だつて好いぢやないの?」
「いや……彼奴はヤンキー・ガールで気持が悪いんだ。」
 私は、突然そんなことを云つた。たつた今あれ程までに激賞したFである。すると照子は、(何も私を目安にしてFに競うたのではない、道を往く美しい人に反感を持つ程度の反感を私の言葉でそそられた後だつたので)軽く、卑しい自尊の眼を輝かしたのだ。だからほんとなら、私の失言をとがむべき筈のところを忘れて、
「やつぱりね……」と、快心の点頭きを示した。
「だから三十分も話してゐると、退屈してしまふよ。」
「さうかね……」
「髪の毛が、厭に赭かつたり、眼玉が菓子のやうに青いのも、一寸は興味があるが、よくよく眺めてゐるとなんとなく人間離れがしてゐるやうな気がしたり、此奴どんなことを思つてゐるか? なんていふ気がして、薄気味悪くなつてくるぜ。」
「純ちやんも随分幼稚だわね、ホッホッホ。」と、照子は嬉しさうに笑つた。
「そして彼等の習慣は、あまり物質的で気持が悪くなるんだ。」
「そりやア、妾は好いと思ふわ。」
 照子が、有頂天になつて気取つた非難を私に浴せた。「純ちやんなんての趣味は、野蛮でお話になりやアしないわ。」
「そりやアさうだらうが、ああいふ婦人の相手はとても辛いね。」
 私は、ほんとのことを云つてゐたのだが、都合の好いことには、照子は、私がFを僭越な意味で説明してゐるんだ――と誤解してゐた。で私も、つい嘘に花が咲いて、調子づいて、かうは云ふもののFと自分は愛し合つてゐるんだ、などと云ふ途方もない思はせ振りを示したりするのであつた。
「そこへ行くと妾なんぞは、心が拡いことよ。西洋人であらうと、純ちやんであらうと同じ心で附き合へてよ。妾は、いつそ外国人と結婚がしたいわ。」
 結婚――そんな言葉を聞いただけでも、私の胸には甘くて熱い煙りがムッと渦を巻いた。――照子は、立ちあがつて縁側の椅子に腰を降して、海を眺めた。私は、醜い焦躁を振り払つて、やつぱり海の方へ眼を投げた。そして細く詠嘆的な声で、
「波がおだやかだね。」などと云つた。
「Fさんは今日は留守なの?」
「親父達と箱根見物に行つた。」と、私は物憂気に答へた。

「お前は英文学を研究してゐるさうだが、英会話は不得意らしいね。」
 或る日Fは、そんな質問を発して私の喉を塞らせた。
「英文学を研究してゐるなんて、誰から聞いたの?」
「いつか、お前のダッディから聞いた。」
「いや僕は、日本のクラシックを主に研究してゐるんだ。」
「おお、さう。」
 決して疑り深くないFは、易々と点頭いて、秘かに私を恐縮させた。Fの、この疑り深くない「おお、さう。」では、私は、屡々辟易させられたのである。私は、初めて父からFを紹介された時のことを覚えてゐる。――彼等が一時間以上喋つてゐた間、私に関する部分だけは、きつと聞き耳をたててゐたから、三分通りの要所は辛うじて解つたのである。
「彼は、如何にしてあんなに黙つてゐるのか、何か気嫌でも悪くしてゐるんぢやないかしら?」と、Fは、私のことを私の父に訊ねたのだ。父は、遊蕩的な笑ひを浮べて、
「レディの美しさに大方圧倒されてゐるんだらう。然しあの私の倅は、交際下手をいくらか自慢にするといふ風な愉快でない性質を持つてゐるんだよ。」
 私は、父を軽ハズミなことを得意になつて云ふんだ、と観察しながら、横を向いた。Fは、膝の上の大きな赤革の化粧ケースの蓋を開けて、その中の鏡に顔を写して、のべつに頬のあたりを白粉で叩きながら
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