そして、凝と静かな陽を浴びてゐた。私は、それらの靴下に凝と眼を注いでゐた。
「退屈だから、ミス・テルコを訪れて見ようぢやないか。」と、Fは云つた。
勿論私は、極力反対した。到頭Fの感情を害ねてしまつた程、それほど熱心に反対したのである。
私は、床の間の端に座蒲団の折つたのをあてて、そこを枕にして上向けに寝転んで、黒い天井を眺めてゐた。
Fと照子は、縁側に近い処に椅子を向ひ合はせて、切りに巧みな会話を続けてゐた。
「テルコさんと知り合ひになつてから、妾は大変幸福になりました。」
「ジュンから聞いたあなたの印象と、お目にかかつて以来の感じとはまるで別ぢやありませんか、ジュンは何といふ嘘つきでせう。」
照子は、半ば私を意識に容れて、そして私をからかふためにそんなことを喋つた。Fが私のことを自国の習慣に従つて、「ジュン」と呼び棄てにするのを、照子は真似たのである。
「お世辞がうまいでせう。」
Fは、さう云つて巧みに笑つた。勿論私は、Fと照子が知合ひになつた翌日から、二人からすつかり除け者にされてしまつたのである。彼女等は、私を軽蔑にさへ価しない者として取扱つてゐるといふ風だつた。
音楽の話、芝居の話、オペラの話、結婚の話などが主に彼女達の話材だつた。そして、そのうちの何れに就いても私は無関係で唖だつた。
彼女等に取り入る一つの手段として、何か一つ自分も相当の知識を披瀝したいものだ――私は、無暗とあせつたが、凡てが夢になるより他になかつた。
私は、静かに眼を閉ぢた。……(こんな馬鹿女達を相手にして、焦々するなんて俺も甘いものだな。――)口惜し紛れにそんな独言を浮べて見たが、少しも力が入らなかつた。却つて、甘い悲しさを煽りたてて、不快の度を強めるばかりだつた。
「ジュンは眠つてしまつた。」
ふと私の耳に、Fの声が伝つた。私は、胸でにやりとして、眠つた真似をした。
「なんとなく気の毒な気がしますね。」
「彼のダッディが、ずつと前彼のことを Foolish だつて云つたことがあります。」
「ホッホッホ。」と、照子は堪らなさうに忍び笑ひをした。
私の友達の山村と、照子の弟の一年前中学を卒業した龍二と、私と、Fと、照子と蜜柑山の方へ散歩に出かけた。
「秋になると、この辺一帯が黄色い蜜柑ですつかり覆はれてしまひますのよ。」
照子は、Fの質問に答へて、洋傘の先で眼の下の畑やら、上の丘などの青い樹を指し示したりした。
「純ちやんところの蜜柑畑はこの辺ぢやなかつたかしら。――あの花を折つたつて構はないだらうね。」
「ああ構はないとも、よそのだつて構ふものか。」
「龍ちやん、あのハチスの花をとつてお出でよ。」と、照子は弟に命じた。龍二は、懐ろからジヤックナイフを取り出して、二三本のハチスの花を切つて来た。
「Fさん、山村さんのボタンに一つさして上げなさいな。」などと照子は、噪いで云つた。山村は、赭い顔をして、細い上りの道を駆けて行つた。Fは、ポケットからのべつに菓子を撮み出してムシャムシャと頬張りながら「オレンヂのシイズンになつたら、また妾は訪れませう。その時分はジュンは居ないだらうが、あなたと、あなたの龍二が居れば充分だから。」と云ひながら龍二の肩を叩いたりした。
丘の中腹を一周して、私達は帰り路についた。私達は中学の裏から運動場へ出たのである。
「ここが皆なの出た中学なんですよ。」と照子は、Fに説明した。
「おお、ナイス、グラウンド!」
「山村さんと龍二は、このグラウンドの人気者なんですよ。」
照子は、さう云つて、運動会の時の話などをした。日曜の午後で、広い運動場には子供が二三人隅の方で遊んでゐるより他に人影はなかつた。
そこは、旧式の運動の盛んな学校だつた。卒業生の大半は、陸軍士官学校と海軍兵学校を志願した。運動場の周囲には様々な体操器具が堂々と立ち並んでゐた。――十二階段、平行棒、飛越台、木馬、棚、幅飛び、棒飛び、梁木、遊動円木、天秤台、機械体操、射撃場、名前は忘れたが、穴の上に丸太が渡してある処――その上で二人の者がそれぞれ一本の腕で争ひ穴の中へ落し合ふ場所である丸太橋――。
「ここで暫く遊んで行きませう。」と、Fが先に云ひ出した。私は、厭だと主張したが、照子は聴き入れずに、
「皆なの運動を見物しようぢやありませんか。」
と、云つて山村や龍二を促した。
「うん、やらう。」と山村は云つた。
「俺は、暫くやらないから巧くやれるかどうかね。」などと云ひながらも、龍二も賛成した。そして私達は、先づ機械体操の前に集つたのである。山村と龍二は、シャツ一枚になつた。
Fと、照子と、私は隅の芝生に腰を降して熱心な眼を視張つた。
「妾は、未だかういふ種類の運動を見たことがない。」と、Fは云つた。
「僕は、かういふ種類のミリタリステ
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