に取り消さずには居られないやうな痴想にのみ走つてゐる自分が、首を縮めて、たゞ徒らに歯を浮かせてカチカチと鳴してゐる姿を、私は、瞑目して想像するより他はなかつた。硝子戸は少しばかりの風にも音をたてゝ鳴り、テーブルの上には字がかける程に埃が積つてゐた。私はぼつとして、そこに、指先きで、塀の落書のやうな人の顔を、かいたりした。――ザラ、ザラ、ザラ……浮くだけ浮いたらこんな歯の病ひなんて収まるだらう――私は、指先きに力をこめて縦横にテーブルの上をこすつた。
 ――「また、当分夜昼を取り換へてしまはう。」
 夕暮に眼醒めて、鼠色に汚れたカーテンの中で、無意に、酒に酔つてゐる方が好さゝうだ――何にもいらない、誰かに笑はれないうちに斯んなところも取り片づけてしまはう、借りてある部屋をあの儘にして置けば、あそこで昼寝も出来る。
「もう、例年の如くベン船長に賀状を出す日も近づいたが、今度は一寸とデイツクの近況も書き添えてやらなければなるまい、父に丁寧な弔状を貰ひ、その後別にデイツク(彼は、いつの頃からか私をさう称んでゐた。)の近況を知りたいといふ手紙も貰ひ放しになつてゐる。さうだFからも――(ベンさんに
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