はないが、斯んな見せかけは閉口だ。」と、私は、時々顔を蹙めて呟いだ。秋が冬に変るに従つて私は、それを頻々と繰り返すやうになつた。――冬になると私は、大概の日は歯が陶器のやうに浮いて、中でも擦硝子を見ると膚に粟が生ずるのであつた。歯質が幼時から悪く今では三分の二は義歯を入れてゐたし、いつも喫煙過度で舌がザラザラとしてゐた。冬の乾いた日が来ると私は、いつも口中に砂を含んでゐるやうな気持で、冷たく乾いたものを見ると直ぐに苛々させられた。普段それだけは手まめである髯剃りさへ、余程温かな湿り気のある日でもないと手が出なかつた。――これまでもの冬私は、そんな日には部屋を閉めきつて膚に汗を覚ゆる程盛んに湯気をたてゝ、そして吸入器の前で口をあけ通しにしてゐるやうなことが多かつた。
春の初めに、話だけを聞いて見もせずにいきなり其処に移つて来てから、私達は今この儘此処で初めての冬を越さうとしてゐるのであつた。
「この辺のこれ位ひの貸家は、大概斯んな風ですよ。」と、妻は何の不服もないらしく云つてゐた。
「――誰が始めは考へたんだらう! つまり、便利なこんな昼夜兼帯の雨戸なんて!」
私は、背に擦硝子を思つ
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