つてテーブルの上だけの陽をさへぎつた。また、畳との境えの障子を閉め、背後には揚幕のやうに布を垂して、そこを恰度一畳敷位ひな広さに区切ると、そこは終日明るい、屋根裏のアトリエのやうな一隅になつた。上部の硝子の隙間から白い空が見あげられるだけだつた。
私は、隣家から菊の花を貰つて来て塵の溜つてゐる一輪差を洗ひ、簪のやうに差し込んで心細く眺めた。――脚のあたりには深々と陽が射して温室に居るやうな温かさを沁々と感じた。
「八畳よりも此処の方が好さゝうだ。」など、私は思つた。――「近所に借りてある、あの部屋も止めてしまつても好さゝうだ。」
私は、当分此処で昼間の独りの営みを続けることなどを思つた。友達に会ふことは好きなのであるが、此処には訪れる者もないし、知り合ひの者もないし、散歩はあまり好まないし、いつも私は短い昼間を永く感じながら独りでてれ[#「てれ」に傍点]臭さうな顔をしてごろ/\してゐるのであるが――この一隅を得た時には、玩具を買つた時の子供のやうな心の忙しさと矜りを感じた。
この中で私は、十五六歳の頃、植物栽培に熱中して、裏の藪隅の日溜りに稍々大きな温室《サンルーム》を拵えたことなどを思ひ出した。私は、温室の隅に小さなテーブルと椅子を置いて、栽培に倦きた体を休めるのが常だつた。
その中で学期試験の勉強をしたこともあつた。寒い日には、小さなストーブを焚いて、其処に入る時だけ着てゐた作業服を温めたりした。夜も、ランプを点して、遅くまで夜業に耽つたことがあつた。――飼つてゐた犬を毎晩そこに泊らせた。ベン船長から貰つた星の歌をうたふ眼醒時計を歌はせて夜業の区ぎりにした。
ベンさんとは、その頃写真や手紙を屡々往復したが、一度作業服を着た私が温室の扉の前で犬と一処に写した写真を送つたら、
「私のデイツク・ホイツテイングトンよ。やがて君が乗るべき馬車を送らう。」といふ返事と一処にロード・メーヤーの馬車の写真を送つて呉れたことだけは、今でも私は覚えてゐて苦笑を感ずる。おそろしく汚れてだらしのない作業服の私の姿を、からかつたのには違ひない。――このデイツクは、ロード・メーヤーにはならず、この昼夜兼帯の硝子戸一枚の家の主人にはなつたが、妻子同人の支配さへ出来兼ねてゐるではないか。
その温室は、漸く一冬は保つたが春になる頃には私は、すつかり倦きてしまひ、母がブツ/\云ひながら
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