もの春秋併せて太鼓叩きの栄誉を荷ふべし――といふ事に可決された。その事は最早大分以前から村人等の話頭に上つてゐた提案であつて、里を遠く離れた森陰の水車小屋にだけは伝はらなかつたが、彼等の間では既にもう初夏の田植の頃ほひから遠くあの鎧櫃を取り巻いて、暗々裡の物々しい争奪が演ぜられてゐたといふことであつた。さう聞けば、私にもそれ[#「それ」に傍点]と思ひ合せられる筋々が枚挙に遑ない。それまで私に出遇ふと何故か冷酷な軽蔑の後ろ指をさして大手を振つてゐた村会議員の何某達が、にわかに丁寧な天気の挨拶などをして私のために道をひらくが如き有様となつたが、それは鎧櫃欲しさのお世辞わらひであつたのか、私はまた遂に彼等が私の豊かなる学識を認めて心からなる尊敬の念を寄せはぢめたのか、と大いに吾意を得て、自ら打ち進んで思想講演会の壇上に立つたり村議立候補の宣言を発表したりしたのに、嗚呼、またしても思はぬ憂目を見たものよ。あの時私への投票は雪五郎父子の僅かに二票より得られず落選となつたが、それは私が既成政党の何派に依ることなく自ら樹立した「独立共和党」なるものゝ主旨が単に彼等の意に通じなかつたとのみ思つて、晴々としてゐたのに――。
 この鎧植騒ぎが起るやいなや桐渡ガラドウは即座に年々歳々の賽銭の高を計上して、
「あの薄鈍先生から五十か百の金でふんだくれば、濡手で粟だ。」
 と北叟笑み、既にもう手前が鎧武者になつた気で、アヌビスを賽銭拾ひに、また同志の悪党を悉く使丁に抜摘した太鼓隊を組織して、毎夜毎夜メイの店で手配を回らし、前祝ひの盃を挙げてゐたが、いよいよ期の熟した今朝となつてはあらゆる弁舌を弄して私に迫つた上、若しも私が云ふことを諾かなかつたならば、一思ひに腕力沙汰をもつて捻ぢ伏せてしまはうと決心し、今や二十人からの同勢が勢ぞろひをして手ぐすねひいて繰り出すところである――斯う聞くと私は、娘の手前といふばかりでなく、しつかりと武張つて、そいつは面白いや! とか、日頃の鬱憤を晴して目にもの見せずに置くものか! などゝ唸つたものゝ、何故か総身に不思議と激しい胴震ひが巻き起つて歯の根が合はなくなつた。
 水門の堰が切られたと見へて、稍暫らく水車が轟々たる響きを挙げて回り出し、小屋全体も恰も私の胴震ひのやうに目醒しく震動しはぢめてゐた。
「いゝえ、そいつは……先生が……先生が……俺が撥をとつて行列の先へ立つと云へば……鳧のつくことだ……」
 小屋の胴震ひの音にさまたげられて止絶れ/\にしかうけとれなかつたが、いつの間にか迎へに走つたと見へる雪二郎を先きにして、雪五郎と雪太郎が口々に亢奮の言を叫びながら嵐となつて飛び込んで来た。それと一処にメイも何か叫んで私の胸に飛びつき二つの拳骨で、私の胸板を太鼓と鳴らした。たしかその時雪五郎がすいと腕を伸したかと思ふと私の五体は鞠になつて真黒に煤けた屋根裏へ飛びあがり、ふわり/\と感じたかと思ふと、決して訳の解らぬわあ/\といふ人の車の歓声に吹き飛ばされて、繰り返し/\宙にもんどりを打つてゐるのである。私は、目も見えなかつた。昏倒しさうであつた。ガラドウの同勢が圧し寄せて、合戦がはぢまつたのかしらと思はれた。……で、不図、落ついたので、それにしても酷く坐り具合の好いソフアに居るが、いつの間にか敵軍を追ひ払つて、大将の席についたのかな? そんな心地がして、静かに眼を開いて見ると私は、雪五郎の膝を椅子にしてゐた。――合戦かと早合点した今の騒ぎは、雪五郎達が歓喜のあまり私を胴上げの手玉にとつたのであつた。
 水車の響きに逆つて、大声の会話を取り換す習慣には私も慣れてゐる。私は特に落着いた振りで、
「でも僕には、到底あの太い撥を振ふなんていふ力はありはしないよ。」
 と、真に自信に欠けた思ひ入れを込めて、皆なの前に露はに腕を突き出して見ると、まことにそれは鉛筆と見紛ふばかりの心細い腕だ。「撥の方が五倍も太いぢやないか。」
「いゝえ。」
 と父子三人が口をそろへて首を振つた。――「私達は知つてゐる、いつか貴方が、この赤松の薪太棒を軽気に振りあげてガラドウ共を追ひ払つた時のことを――。太鼓の撥は、これと同じ太さであるし、また、打つ時の身構えは、あの時のまゝに演つて下されば申し分はない。私達は、あの時の貴方の姿を見て以来、此処に一人の屈強な太鼓武者が居ると秘かに期待してゐたところ、計らずも斯んな幸運に出遇つて……」
 あの時のあれ[#「あれ」に傍点]は全くの夢中の業で、あれと同じ動作を繰り返して行列をすゝめるなんていふことが出来るものか、あの一振りであの時だつて僕の腕は抜けかゝつたではないか――といふ事を私は云つたが、声が落ちて水車の響きに消されて誰の耳にも入らなかつた。
「おゝ、私は貴方の打つ太鼓の音に伴れて天狗の脚を運べるとは……」
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