ほどの重々しい思ひで徐ろに腕組をすると、黙々として胸を張つた。
 柳の木の間から真向きにあたる川上の、恰度流れが悠やかに曲らうとしてゐるところに水門が構へてゐる。――見ると、水門の両端に二人の男が馬乗りになつて、此方を向いて腕を挙げながら切りと何か喚いてゐたが、水車の音にさへぎられて一向に声はとゞかなかつた。その腕の振り動かし具合は、見へざる敵の剣に、今や見事な|巻き落し《ヴオレイ》を喰はして馬上ゆたかに快哉の叫びを挙げてゐる颯爽たる騎士の姿に私の眼に映つたりした。二人の人物は雪太郎の父上である雪五郎と弟の雪二郎である。二人は、終日、水門の両端に相向ひ合つて、水を溜めては堰を切り、流してはまた門を閉ぢて水を溜める仕事に没頭してゐるのである。雪五郎は八十歳に近い年輩であつたが、楽々と斯る労働に堪へ得る程の健康の持主である。私も一度、試みに水門番にたづさはつて見たこともあるが、いざ堰を切る段になつて閂を引き、把手を肩にして満身の力を持つて開門しようとしても、曳哉/\と叫ぶ掛声ばかりが水車の騒ぎよりも壮烈に鳴り渡るばかりで、打たうが叩かうが、それは私にとつては永遠に開かずの扉であつた。加けに私は空力があまつて肩を滑らし、あはやと云ふ間もなく真つさかさまに水中目がけて不慮のダイビングを試み、危うく溺死しかゝつたところを雪五郎に救助された。毎晩/\雪五郎父子と共に囲炉裡のまはりに集つて私も盃を執りあげるのであるが、さま/″\な債権者がおし寄せて来て彼等はもう私達の平身叩頭の詫びも聞き倦きて、明日にもこの古呆けた水車小屋を乗つとらうとする勢ひであつた。
「雨が降りさへすれば、忽ち車は回り出すんでございます。どうぞ、それまでお待ち下さい。今、その俵を持つて行かれては、今夜にでも恵みの雨が降り出して、いざ車が回りはぢめたとしても、それこそ私どもの臼は空つぽのまゝで、杵に打たれて割れてしまふより他に道はございません。」
 雪太郎が、畳に頭をすりつけて涙ながらに詫言を述べると、私たちのまはりに車がゝりの陣立でぐるりと勢ぞろひをしてゐるむくむくとむくれあがつた雷共の中から、中でも獰猛な地主のアービスが腕まくりをしながらすゝみ出たかとおもふと、いきなり物をも云はず拳骨玉を振りあげて雪太郎の頭をぽかりとなぐつた。そして、役者のしぐさよりも役者らしく真に迫つた怖ろしい憎みの見得を切つて、
「え
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