を、うしろから眺めてゐると、何とも得体の知れぬ、凡そ今迄感じもしなかつた胸を颯つと引き絞められる花やかな香気に打たれた。未だあたりには朝靄の煙りが水のやうに流れてゐる草の中に立つた彼女の姿が――その上着の明るい色彩が、ところ/″\に点々として梢から洩れ落ちてゐる陽だまりの一つのやうに、そして巨大な蝶々のやうに、凝つと羽根を休めてゐた。
 と彼女は、慌てゝ振り向きながら私をさしまねくと、更に繁みをくゞつて先へ進んだ。鳥が枝を渡つたのか、それとも照尺を縮めたのか――私には鳥の姿は見へなかつたが、何だか私は、厭に生真面目にてれ臭つたやうなあまりに能なし気な思ひで、よた/\と伴いて行くと、待つ間もなく、間一髪、発砲の音で私は、思はず、ドキツとして蛙のやうに飛びあがつた。
 また、振り返つた彼女の顔を瞥見すると青白い興奮の気色が見られた。――私は、或ひは私が未だ彼女が引金を引く間もない前に、飛びあがつたのではなからうか? その音で、鳥が逃げてしまつたのぢやなからうか、そしてお雪が憤つたのではなからうか? そんな臆病さに打たれたかと思ふと、いつか、もう彼女の姿は私の眼界から去つてゐて、繁みの彼方か
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